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2019年06月06日23:55

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善と悪の境界線

中国では天安門について語るとき「羅生門」という言葉を使う人がいる。
何故かというと映画「羅生門」に登場する人物たちは
それぞれ自己保身のために平気で嘘をつき、真相を闇に葬り去ろうとするからだ。
天安門事件を起こした共産党も都合のいい事実を作り、真相を分からなくさせる。
だから中国人は「天安門事件を起こした連中は まるで羅生門の登場人物のようだ」というのである。

原作者の芥川龍之介は小説の中で「善と悪について語りたかったのだ」といわれている。
「人間の本質を描きたかった」ということだ。
中国人は物事を相対的に考える傾向が強い。
だからこそ芥川の考え方に共感するのではないだろうか?
おそらく芥川はこう考えたのではないか?
「0と1は違うが1と100は同じだ。
何故ならば1と100は存在するという意味において同じだからだ」
たとえば中国人に政治腐敗を質すと「全く腐敗していない国などない」と答える。
中国では0でなければ1も100も同じなのである。
善と悪は表裏一体という考えで
「100%の善もなければ100%の悪もない。この世に絶対は存在しない」という東洋思想の影響がみられる。

1995年公開の映画「天安門THE GATE OF HEAVENLY PEACE」の内容を巡っても
羅生門現象が起きている。
学生リーダー柴玲の発言は不自然で、
「別々の記者に答えた映像を編集してつなぎあわせた物だ」という説が有力だ。
つまり彼女を陥れるための捏造だという。
映画を作った中国人カーマ・ヒントンは毛沢東崇拝者で
「天安門」を作った後もプロパガンダ映画を作り続けている。
学生運動指導者たちによれば
中国共産党工作員が運動に参加して学生の過激性を演出し
弾圧の口実を政府に与えたのだという。

中国社会は今も昔も混沌としていて
真相は常に闇の中にある。
真相を明らかにすることは
善と悪の境界線を見つけることと同じくらい困難なのだ。







■カナダが中国を人権問題で非難 中国は反発、深まる対立
(朝日新聞デジタル - 06月05日 20:08)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5650540
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