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2019年12月13日07:04

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「強健術」案内100

今回より『強い身体を造る法』に発表された「強健術」を見ていきます。

この「強健術」は、これまで見てきた「強健術」と大きくその形を変えます。以前春充が、「強健術」発展の時期を4期に分けたのを見てきましたが、そこに語られる「強健術」の変遷を見て今回の「強健術」がどのような位置づけなのかを確認してみたいと思います。

第1期は明治33年より明治44年に至る12ヶ年で、春充が強健になる決意をして、サンドウなどの運動法を参考に初期の「強健術」を考案し、処女作『実験 簡易強健術』を発表した時期までです。この頃の「強健術」の最終形は『実験 簡易強健術』に発表された型です。

第2期は明治44年より大正4年に至る5ヶ年間で、近衛歩兵第四連隊に入隊し、今回見ています『強い身体を造る法』を出版する直前までの時期です。この時期は、過渡期の2作目の著作『腹力体育法』を経て、「脚の踏みつけ」、「脚の踏み込み」、「利動力」などの新しい要素を導入し「強健術」が大きく変化した時期です。この時期の型の最終形は『心身強健術』に発表された型で後に「気合応用強健術」となります。
第3期について春充は次のように述べています。

第3期は、大正4年から、同12年に至る9ヶ年で、全練修法の型を、気合応用強健術運動法と、呼吸応用の簡易練修法との2つに分けた。(聖中心道肥田式強健術 P.687~688)

ここで春充が「呼吸応用の簡易練修法」と名付けているのが今回見ていく『強い身体を造る法』に発表された「強健術」であり、「強健術」の中で最も知られている「簡易強健術」に発展する原型となるものです。

この「強健術」のやり方、特徴について春充が解説している部分がありますので、今回と次回に渡ってそれを見ていきます。

○腹力(腹直筋、斜腹筋、横隔膜の緊縮)と目的の主要筋肉の緊張とが、ピシャッと同時に行くようにします。力の入れ方は、腹筋十分。各部筋肉九分の割合に致します。(此の比例さえ失わなければ、過激の問題は、絶対に起こりませぬ。過激とは、力の量の問題ではなくして、中心の力と部分の力の比例の問題です。)(強い身体を造る法 P.30~31)

ここでは、「腹力」と「中心力」という言葉が混在していますが、同じ意味として問題ないでしょう。重要なのは、これまで「腹直筋」としていた「腹力」が「腹直筋、斜腹筋、横隔膜の緊縮」となっている点です。それが単なる「腹力」から「中心力」への変化の大きな特徴です。また、「緊張」ではなく「緊縮」となっている点も、今回の「強健術」のある特徴を表しています。それは次回見ていく部分に出てきます。さらに、「中心力」10分、「部分力」9分という力の配分を明確にしたのも特徴の一つです。ここでは「中心力」ではなく「腹筋」ですがそれは、「腹直筋、斜腹筋、横隔膜」を指していることは明確です。また、「腹筋十分。各部筋肉九分の割合に致」すとは、力の入れ具合の配分を腹に10の力を込めたら、鍛える筋肉はそれに比べて9ほどの力を入れればよいという意味になります。そしてこれは、「サンドウ体力養生法」などにあった「運動の過激」の問題を解決し、「強健術」に「速度」を取り入れることを可能にした要素でもあることは、これまでに見てきた通りです。

次回も、この続きを見ていきたいと思います。

(写真は、旧肥田邸跡近く、八幡野来宮神社社殿)
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