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2019年12月08日19:06

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「強健術」案内95

今回より春充の第四作目の著作『強い身体を造る法』(武侠世界社 大正5年発行)に発表された「強健術」を見ていきます。この本が書かれた当時春充は数え年で34歳、第一次世界大戦が勃発して2年あまりたった頃で、日本がこの前年大正4(1915)年、中国に「21ヶ条の要求」を行ったことが原因となり猛烈な反日運動がおこり、日中関係が複雑になっていました。当時、春充は政治の恩師 押川方義とともにこの日中関係を修復しようと様々な国士的活動を行っていましたが、そのことにつきましては刊行予定『聖中心伝−肥田春充の生涯と強健術−』(晩年編)に詳細に解説してありますので、是非ご覧下さい。

さて、『強い身体を造る法』に発表された「強健術」は、これまで発表された「強健術」とは大きく違っています。春充は、その大改訂された「強健術」の特徴を次ぎのように解説します。

先に公にしました方法は硬い、強い遣(や)り方ですが、今度のは、要領を換えまして、ヅッと軟らかに致しました。場所は畳一畳あればできますし。動作が前よりか穏やかですから。実行上大層楽でございます。(強い身体を造る法 序に代ふP.9〜10)

これまでの「強健術」は、「脚の踏みつけ」、「踏み込み」などを使用した「強いやり方」でしたが、今回のはそれにくらべ「軟らか」で「穏やか」であるとしています。これは、後に「簡易強健術」と呼ばれ現在最も良く知られている「強健術」の原型となるものです。また、この「強健術」の要点を次のようにも解説しています。

一般人に教授の便宜上から、再び元にもどりまして『簡易』を土台として、それに呼吸と中心の働きと、力の使い方の調節とを徹底的に研究しました結果、完成しましたのがこの方法です。(強い身体を造る法 序に代ふP.14〜15)

「一般人に教授」するための「便宜上」から、「強く、複雑なやり方」になった「強健術」を「簡易」に戻したと言っています。これはこの頃春充の「強健術」と春充の人柄に惚れ込んだ医師 加藤時次郎(1859~1930)が東京新橋にある診療所の一部を「強健術道場」として提供し、そこで春充が一般人に「強健術」を教授していたことによります。

こうして、これまでの「強健術」を見直し、「呼吸」と「中心の働き」と「力の使い方」を徹底的に研究して新たな「強健術」を完成させます。このような特徴を持っていますので、この「強健術」は、これまでの「強健術」が「気合応用」強健術と呼ばれるのに対して「呼吸応用」の強健術とも呼ばれます。

また、ここで「中心の働き」という言葉が出てきます。これまでは「腹力」とか「気合」という言葉で表現され「中心」という言葉が使用されるのはまれでしたが、この『強い身体を造る法』に至り、「中心」を前面に出し、また初めて幾何学的に人体のどの部分であるかを詳細に解説しています。この本に至って「中心」、「中心力」という「強健術」最大の特徴の一つが姿を表します。

ただ、後に春充はこの頃の「強健術」を「邪道に陥った」と酷評します。「中心」という概念をはっきりと導入したにも関わらず、後の「強健術」から見ると大きな欠点があったと春充は振り返ります。それがどのような欠点であり、それをどのように克服したのかは、刊行予定『聖中心伝−肥田春充の生涯と強健術−』(晩年編)で触れていますのでそちらにゆずるとしまして、次回より具体的なやり方について見ていきたいと思います。

(写真は、旧肥田家跡近くの八幡野来宮神社境内)
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