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2019年09月16日09:38

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「強健術」案内13

前回は、初期の「強健術」が「サンドウ体力養生法」の強い影響を受けていることを見てきました。初期の「強健術」と呼べるかも定かではない頃は、「サンドウ体力養生法」の方法を、ほぼそのまま鉄アレイを用いてやっていました。また、「強健術」の原則の一つ「一筋の緊張」がやはり「サンドウ体力養生法」から来ていることも見てきました。
今回はその続きを見ていきますが、その前に前回の最後の一行に、次のように書かれていた部分を検討していきたいと思います。
◇運動回数50。1日1回づつ増加した。
これだけ見ますと、単に一日ごとに一回ずつ回数を増やしていっただけではないかと思いたくなりますが、この回数の増加も「サンドウ体力養生法」の影響です。サンドウの方法は、毎日5回ずつ回数を増やしていき120回まで増やしたらそれを6ヶ月続け、それが終了したらアレイの重さを増して同様に50回から初めて120回に至り、さらにアレイの重さを増やすというように非常に複雑、かつ時間のかかる方法でした。初期の頃の「強健術」を実践していた春充はこれを忠実に行おうとして、問題にぶつかります。それは、「時間がかかる」ことです。春充は次のように、ぼやいています。
(『サンドウ体力養生法』)増訂53版頃のは、大分よくなっているが、私もその初版のものに従ってやって見た頃には、規定通りにやると、どうしても1時間以上を費やさねばならなかった。(聖中心道肥田式強健術 P.65〜66、強い身体を造る法 筆のしづく P.58、心身強健術 P.231)
これでは、春充が理想の「強健術」を想定した時に設定した「運動に対する五つの要求」の中で、最も重視している「運動に多大の時間をかけないこと」という要求を満たせないことになります。そこで、回数を減らすために非常に重い鉄アレイを使用することにしましたが、それは内蔵に負担をかける結果となってしまいます。この辺の詳しい事情は、刊行予定『聖中心伝―肥田春充の生涯と強健術―』(青年編)を是非ご覧頂きたいと思います。そこで春充は、次のようにするのです。
◇鉄亜鈴が内蔵機関に、圧迫を与えると聞き、これを捨てて、重いものを、持って居るとの、観念を抱いて、其の意思力を、利用してやって見た。(川合式強健術 P.124〜125)(聖中心道肥田式強健術 P.695)
◇運動回数50。増加率を廃した。(川合式強健術 P.125)(聖中心道肥田式強健術 P.695)
重い鉄アレイをやめて、鉄アレイを持っているという「観念」を使用し、回数の増加をやめて50回にします。しかし、これでは「強健術」の一大特徴「運動と観念の分離」を達成することは出来ません。「観念」は用いずに純粋に運動のみでこの要件を達成出来ないか考えあぐねていた時に、春充は高校になってから習った「竹内流柔術」の当て身の拳の握り方に出会います。
◇一種の拳の握り方に、気がついた。人差指と中指との前に、拇指を折って寄せつけ、第四指と第五指とで、これを押えて握る。そうすると、前腕諸筋肉の緊張が、平均して、丁度軽い道具を、持ったような感じがする。(川合式強健術 P.125)(聖中心道肥田式強健術 P.695)
◇依って運動回数を、30に減少。(川合式強健術 P.125)(聖中心道肥田式強健術 P.695)
この「集約拳」を導入することにより、重い鉄アレイの問題から解放され、また「運動と観念の分離」の問題も、何も「観念する」ことなく拳を握るだけで、解決することになります。
そして、「柔道」、「剣道」で学んだ「自然体」を応用して、次のようにします。
◇不動の姿勢でやるのを改め、自然体を執ることにした。(川合式強健術 P.125)(聖中心道肥田式強健術 P.695)
こうして、全力を挙げて「強健術」を行う前後に立位の「自然体」を取り、始終力み続けていることが無くなります。また、この「自然体」は後に「運動による精神、脳の支配」にもつながる重要な要素となります。しかし、その頃は重い「鉄アレイ」による内蔵への影響は排除できましたが、急激に身体を動かす「運動の過激」による内蔵への影響を完全に排除することは出来ずにいました。
◇過激を惧(おそ)れ、腕の上下は、静かにやって居た。(川合式強健術 P.125)(聖中心道肥田式強健術 P.695)
このこのように「静かに行う」要素を加味して、今考察している処女作『実験 簡易強健術』に登場する「強健術」は完成するのです。
(写真は、伊豆八幡野の肥田家そばにある伊東市指定天然記念物「高見のシイの木」、神々しいまでの大木です)
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