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2019年04月19日11:11

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「天真療法」案内56

前回までに、一番簡単で、一番確かな、食事の法則は、『其(そ)の所の物、其(そ)の時の物で、食べたいと思った物を、食べたいと思った時に、なる丈(た)け、自然に近い物のまま、能(よ)く噛んで、八分目食べろ』。(独特なる 胃腸の強健法 P.170)という言葉の意味を見てきました。
その意味する所は、これまで見てきましたように「放任」ではなく「自然の真」に従うことです。ですから、「食べたい物」と「食べたい時」は「自然の真」に従った身体の要求であり、自堕落な生活習慣に慣らされてしまった不健康な身体の要求とは全く違うことにご注意下さい。
さて、これまで「天真療法」の三大要素、「安静」、「排泄」、「食養」の原理を見てきましたが、それらは強健術同様「自然の真」に従うことが第一であり、人為的なはからいを捨てたものでした。日常の生活、肉体労働、身の回りでその季節にとれた物を自然に近い形で食する、それだけの何の変哲もない平凡な行いの中に治病の秘訣があったのです。それを、春充は次のように言います。
一番平易平凡、簡易簡単に、アラユル病気を癒す方法を求めたい。其れが私の切実なる念願であった。
そんなものがあるだろうか。そんな、都合の良いものがあるだろうか。
あった。あった。意外にも最簡単な方法が、人間は元より、凡(すべ)ての動物、―イヤ、凡(すべ)ての生物に与えられて居(お)ったのだ。(天真療法 P.206)
しかし、この方法があまりにも簡単すぎるので春充は、著書『天真療法』の扉に「直接患者の死活の鍵を握らるる医師諸氏に活用善用せられんことを、切望して止(や)まざるものである。だが同時に其(そ)れでは、薬物も治療器具も、殆(ほとん)ど不用となるから収入の激減を来(きた)さんことを、気の毒に思うものである」と心配しています。
実は、春充に命を救ってもらったある医師が「天真療法」を取り入れた医院を開業した話があります。
彼は、帝大を首席で卒業した秀才でしたが、医師として開業するとすぐに結核にかかります。同時に、心臓弁膜症、リウマチ、三叉神経痛、肝臓硬化症、脚気なども併発し、満身病気の状態となります。さらに10歳になった一人息子に死なれ、精神的打撃を受けて左耳が聞こえなくなり、右目を失明します。春充も、「世にもこれ程、病気にさいなまれた人は、ほとんどあるまいと思う」という程の状態でした。
彼は風呂にも入ることが出来ず、手ぬぐいを湯でしぼって体をふいてもらうような寝たきり状態でしたが、その病床で春充の『心身強健術』を読んで聞かせてもらうのが最大の楽しみであり、「説いているところのものは、まったく共鳴のいたりだ。ことに精密な解剖生理に、根拠をおき、統一した精神力で実行するというのは、一大卓見だ」と感想をもらしていました。特に、この本の付録として書かれた春充の感想録『落葉』は「最も愛好して、何回も何回も読ませて、大いなる慰安を得た」といいます。
そして是非一度春充に会いたいと、旅費の為替を入れた手紙を春充に送り、その境遇に同情した春充との会見がかないます。その時の様子を春充は次のように記しています。
驚喜を以(もっ)て迎へられ、劇的会見が行われたことは、云(い)うまでもあるまい。私の云(い)う処(ところ)は、一々首肯して聞いて呉(く)れた。死を以(もっ)て必ず凡(すべ)てを厳守しますと誓った。別れに臨(のぞ)んで、大いなる光明を与えらえたとて、涙を浮かべて、感謝の辞を述べられた。(天真療法 P.207)
この時、春充がどのようなアドバイスをし、その後この医師がどうやって回復したかは次回に見て行きたいと思います。
(写真は、一乗寺境内にある北野天満宮)
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