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2019年02月22日15:21

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出版予定『聖中心伝ー肥田春充の生涯と強健術ー』内容紹介9

出版予定『聖中心伝ー肥田春充の生涯と強健術ー』(晩年編)の最後の第八章を紹介します。
第八章 晩年と終焉
1 深夜連続の研究
2 禅の科学的解明
3 極東軍事裁判
4 山西通夫
5 菅野武士
6 川合義信
7 純自然体休養姿勢
8 邪教にまつわる事件
9 新な境地
10 肥田式と超能力
11 思わぬ境地
12 山根壽々栄の再訪
13 胡蘭成の来訪
14 『日本の使命』の出版と石川信一
15 ポール・レップスの来訪
16 宇宙倫理の道教団設立
17 大川周明との再会
18 『一分間の強健法』の出版
19 聖中心社の設立
20 三船久三十段との対談
21 「日本開顕同盟」における講演
22 肝臓先生の訪問
23 つのる厭世感
24 栗山奉行 -
25 終焉
紙一重で自決を思いとどまった春充は、再び強健術で身体を鍛え始め強健な身体を取り戻します。そして昭和21年4月10日より、壮絶とも言える深夜連続真理探究の体験的研究を始めます。
その様子は、次のようなものです。毎晩10時頃に就寝するのですが、1時か2時には必ず眼が覚めます。そして寝床の中で「正中心」の大緊張を行うと、思考が機械的に停止してそこに禅定と等しい無念無想の境地が現出します。その後、「正中心」大緊張をゆるめると、鏡のように澄み渡った大脳の中に科学、哲学、宗教、経済、政治などの問題とそれに対する回答がほぼ同時になだれのごとく湧き出てくるので、それを急いで手元の原稿用紙に書き写します。そうして出来上がった原稿は、積み上げると人の背の高さほどにもなりますが、現在はその一部しか出版されていません。春充はこの研究を「宇宙倫理」と名づけました。
この深夜連続の研究で春充が始めに手をつけたのが、「禅の科学的解明」です。春充は、庭の松の大木の根本にしつらえた坐禅石の上で坐禅を行い様々な研究、実践、工夫をします。そして現代に伝わる坐禅の座相には、2つの欠陥があることを発見します。この問題は、「正中心」とも非常に関係が深い問題ですので、第八章第2節で詳細に取り上げます。
こうした深夜連続の研究を行っている春充のもとに、戦地より復員してきた志ある青年たちが自然と集まってきます。彼等は春充の研究を何とか世に出そうと苦戦します。そうした先人達の知られざる努力を、第八章第4、5、6、14、24節では取り上げます。
深夜の研究が6年ほどたった頃、明鏡のように澄み渡った春充の頭脳に何千、何万桁の数字が浮かび、それらを複雑に計算した結果が瞬時に現れるという現象が現れ始めます。朝になって、この計算を、紙の上で夕刻までかかり検算するとことごとく正確であることが判明します。春充はこれを「超時間計算」と名付けます。
さらに、この頃には一種の「予知能力」、「透視能力」のようなものも発揮されます。春充は、これらは合理的な能力の駆使の結果であり、決して神秘的、不合理なものではないと主張します。
それまで、邪教、エセ宗教、疑似科学などのインチキを糾弾してきた春充がこのような神秘的な力を発揮するのには、正直驚きますが、春充自身がこのような能力に驚き、とまどっている記述があり、逆にこの現象のリアリティを感じさせます。
第八章第10節では、この春充の能力をW.ジェイムズ、M.エリアーデ、井筒俊彦、B.リベット、R.サイトウィック、D.イーグルマンなどの学説を参照しながら徹底的に追及します。さらに、ある現代アメリカ人に起こった春充とよく似た現象を検証しつつ、サヴァン症候群、共感覚をキーワードに春充に起こった現象を解明していきます。この問題は、究極的に(自我)意識とは何か?(世界)リアリティとは何か?という問題に行きつきます。
そのような境地に至った春充は、人類の将来を感得しそれが動かしがたいことを知り厭世観をつのらせます。最後の第八章第25節では、春充の終焉を、残された様々な資料、書簡などを使用して丁寧にたどることにより、春充の至った心境、考えを考察しつつ克明に見ていきます。
これで『聖中心伝ー肥田春充の生涯と強健術―』(晩年編)は終わりです。

(写真は、春充の墓所から見た景観、八幡野とその先に太平洋が広がります)

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