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2019年11月22日16:05

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介護福祉士って何だろう

 今を去る事30年ぐらい前、介護という職業は看護師よりも崇高なイメージだった。
 病院の看護婦さん達は偉そうで怖かった。今思うと、時代的に従軍看護婦として死地を渡り歩いた人達が婦長とかだったのかも知れない。兎に角怖かった。
 それに比べて介護の人って皆優しそうだし弱い人を親身になって世話してくれる。仏様じゃなかろうか。

 父親が病気がちで共働きの家に育った私は、戦後のバラックのような平屋の文化住宅の、隣に住んでいた和裁で食いつなぐお婆ちゃんに可愛がられた。
 その結果かどうかはわからないが、私は小さい頃から知らないお婆さんに「ちょっとあんた、100円あげるから○○医院が開いてるか見てきてくれへんか」と言われる等、老人から声を掛けられる事が多かった。この地に引っ越して来て早々に、自身も迷いつつ行った西船橋駅(ターミナル駅)で、見知らぬお婆さんに突然「水道橋に行くには何分ぐらいかかるの?」と聞かれた程だ。えっと、申し訳ないけどちょっとわからないです・・・・・。
 私はどうも世の中のお婆ちゃんと親和性が高く、「老人は私の味方」的な刷り込みがあり、多分それが伝わっているように思う。

 お隣のお婆ちゃんは私が幼稚園の時には亡くなってしまったが、外聞を気にしてお隣に遊びに行く事を禁じた母親よりもお隣のお婆ちゃんが大好きだった。

 家は核家族だったから、老人介護は田舎の事を話で又聞きするだけだったし、介護保険が施行されたし、日本は良い国だなと思っていた。



 結婚して子供が生まれて少し育って、家計を助ける為に出たパート先が倒産した時、益々必要になるであろう教育費の為に、正社員としての勤め先として真っ先に考えたのは「介護」だった。
 しかし、勤め先を倒産という形で無くした為に何の準備もできず、その当時中高年の世帯主の失業対策に奔走するハローワークで、まだ30代だった私に「貴女にしてあげられる事は何もありません」と言われ、何の資格も無いまま、通える範囲の介護施設の門を叩いた。今なら世に氾濫する「介護初任者研修(旧ヘルパー2級)」の研修すら補助も何も無かった時代だ。そして私は全部落ちた。
 ハローワークで職を探すが、企業が倒産する時期というのは世の中が不景気で職が無い。正社員の枠は新卒でも難しい時期、ただの高卒の子持ちに枠は無かった。申し込もうにも「短大卒以上」と書いてあり、申し込む事もできなかった。
 その後何とかしようと簿記やCADを勉強して資格を得、幸いその努力を見てくれた不動産屋に雇われた。

 一生懸命勤めたが、5年程経てのリーマンショック。私は又失業した。

子供たちは学校真っ最中。お金がいくら有っても右から左に消えて行く時期だったのに、私は疲弊していた。旦那は家に寝に帰ってくるだけ。子供が引き籠ったら「お前のせいだ」と私を詰った。
 
 コミュニケーション力が弱い。うまく話せない。不動産屋では駐車場や賃貸住宅の管理をしていたが、賃借料を滞納する人に督促の電話を掛けたりする事が嫌だった。借金取りになったような気分だった。もうしたくない。多分鬱入ってたと思う。


 私は又介護に挑戦した。今度は受かった。地域のコーラスグループの仲間に報告したら、たまたまその道のプロが居た。定年退職した幼稚園の園長さん。「何の勉強もしてない人を、いきなり正社員として雇う所は信用してはいけない。うちのお父さんの学校では、介護の勉強をして給料を出すプログラムをやってるから、相談してみなさい」で、言われた学校に行ったら受かった。(介護と幼稚園は福祉繋がりで、児童福祉法や生活保護法等重なる分野が多いのよ)


 決まってた施設は入職1日前に断って、学校に行く事にした。3月27日だった。4月2日に一泊二日で学校の研修旅行に行った。和歌山だ。人生が急展開して、もう何を話したかとか、全然覚えていない。怒涛の数日だった。
 でも上司に叱られず、お客様にごねられないのにお金くれるとか、天国かもと思った。
 学校では私が思ってた通りの、老人をちゃんと人間として扱う世界がそこに有った。毎日が本当に楽しかった。一緒に勉強してたのは次男坊と同じ歳の子供たち。私はそこで「おかん」とあだ名され、なにくれとなく面倒を見たし、時には自分の子供たちも一緒に遊んでもらった。私の人生の中で多分一番幸福な時間だったと思う。

 元々は「企業に籍を置いて学校に通い、週末は企業で働けば月々定額の給料をくれる」という話は、途中から「授業に出た時間数と籍を置いた企業で働いただけ時給が出る」に代わり、月12万円だったものが、テスト前や期間中、実習の報告書作成や卒業論文作成中には企業に働きに行けず、給料が激減したりして大変困った。
 本を読む事は大好きで、文章を書くのも苦にはならないが、論文という物は、書いた事はおろか読んだ事も無かったので、卒業論文には泣かされた。
 働いて、学校も行って卒業論文も書いて・・・どんどん脱落していって修了時には半数を割っていた。
 兎に角、元々興味があった分野だったし、パソコンの扱い等それまでの経験が私を助けた部分も多く有り、とりあえず全部の単位をこなし、無事修了できた。


 就職してから気づいた。散々苦労して介護福祉士になったが、どうも世間では介護職の社会的地位が低い。給料も低い。私の中では「力の弱い老人の味方」延いては「正義の味方」という認識だったが、世間では「ジジイババアの下の世話係」といった認識のようだ。



 日々腑に落ちない感情を抱きながら施設で働いている訳だが、先日ある家族に詰め寄られて感情の糸が切れた。

 そのご利用者さんはしばらく嘔吐下痢があった。検査の結果ノロのような激烈な物は出なかったが、念のため感染対応として排泄介助や入浴は、他のご利用者が終わってから最後に入るよう指示があった。
 その御家族は毎日おやつの時間に来訪し食事介助をし園内を散歩するなど協力的であるが、たまに見せる表情から介護職を下に見ている節があった。
 たまたま入浴がおやつの時間に重なったが、風呂の順番は最後という指示からそうなってしまったのだ。

 私が風呂に誘いに行くと、件のご利用者さんにおやつの食事介助中だった御家族のジジイに「先週の金曜日にも言ったけど、おやつの時間に被るから午前中に風呂は済ませて欲しいと頼んだ筈だ」と言われた。私は入職して未だ2か月。とりあえず古参の介護福祉士に相談すると、溜息交じりに一言「お連れしてください」・・・私は再度件のジジイの所へ行って再び「先週の金曜日に云々・・・」を聞き「申し訳ありませんが今日の所は」と笑顔で(多分ひきつっていたかも)お願いしつつ「もうおやつは途中でやめますよ!もういいです!」とか切れられ、何とかご利用者さんをお風呂場まで連れて行った。
対応を変える時には家族に連絡し、理由を説明して同意を得ている筈なのに、新顔に切れるとか、どうかしている。
 結局、感染対応を解除した事を上司が周知し忘れた為に、当日の入浴担当が順番を元通り午前中に戻さなかったという事だった。

 ああ、でも私、高圧的なジジイに切れられてたんよ。




 介護というのは看護と違いセオリーが無い。「介護福祉士は悩むのが仕事」と言われるぐらい。利用者一人ひとりに「自分らしく毎日を過ごしていただくにはどうしたら良いか」を考え実践するので、覚える事が多岐にわたり、膨大だ。「ある人は甘い物が嫌いだから、おやつが甘い物の時はご家族持参の煎餅を提供する」だの「ある人はお薬の後には必ず飴玉を一個お渡しする」だの、一見どうでも良い事を逐一覚えて実行しなければいけない。それがその人らしい毎日なのだから。
 飴玉をお渡しする人が糖尿病だと、「一日何個まで」とかの制約も付くし、甘い物が好きな人はご家族持参のジュースが「一日何本まで、提供は何時まで」という制約を憶えておかなくてはいけないし、提供したらそれを他の職員に周知しなければいけない。

家族として一人や二人を見るのであれば何でもない細かい事柄を、「情報を収集し話し合いのテーブルに乗せ、計画を立案して、介護者全員に周知して実行し、又その結果を情報収集する」という事を繰り返す。
その際には、そのご利用者が持っている病気や飲んでいる薬を踏まえなければいけないし、世間で言う「やかましいご家族」が付いてくる場合もあって、その場合は殊更面倒になってくる。


 明らかに太りすぎて介助に支障をきたしてるのに、毎週連れ出しては高カロリーな物を食べさせ利用者をどんどん太らせる人や、大小便で汚れたから車椅子の座面クッションを洗濯中なのに「高価な物なのに!早く洗濯して戻しておけ!全く酷いな!ブツブツ・・・」みたいなクレーム。件の、感染対応してるのに「おやつ食べさせてるのに邪魔しやがって」とか文句言って切れる人。
 足が痛いという母親の訴えに、相談も無く重たいマッサージ器を持ち込み「毎日マッサージ器をかけて」と言う息子。そのマッサージ器、置いたら車椅子が入らないよ。毎回私達が設置して片付けるの?それ、ちゃんと介護計画に入れるように相談したの?その手間賃誰が払うの?みたいな事もあった。

 一番酷いのは訴訟。以前勤めてたホームでは、「母親のお尻に褥瘡から表皮隔離が出来たのは虐待だ」と、訴訟を起こした娘が居た。同性介助をしなければいけないとか、毎日の介護記録を事細かにチェックしに来るとか、現場の職員や他の利用者に大声で嫌味を言うとか、ヤクザかと思うような言動だった。結局、訴訟はその娘が敗訴した。私は疲弊してそのホームを辞めた。
その後どうなったかは知らない。


 プロとしての技術や知識を身に付け、貴方の親の事を真摯に考えて、毎日仕事をしている人に対する礼儀とか、微塵も感じられない人達が居る。何処にでも居るけど、だいたい10~20%ぐらいかな。

 そういう人の悪意というか、無礼が見えると一気にやる気が削がれてしまう。


そして、本当に考えなければならない「介護の現場に素人が沢山居る事」介護の現場には一か月の聴講で取れる「初任者研修(旧ヘルパー2級)」の人や「全く介護の勉強をした事が無い素人さん」が沢山居る。「3年以上の経験で国家資格の受験が可能」だから、居てもおかしくは無いのだが、数が多過ぎて真っ当な意見が通らなくなってる。

 看護の現場では「看護は看護師の仕事で、補助員は看護師の下働き」という構図だったのだが、それが正解だと思う。介護も「介護は介護福祉士の仕事で、素人さんやヘルパーさんは介護福祉士の下働き」という風に分けなければいけないだろう。でないと現場では訳の分からない常識がまかり通る。


 本来介護福祉士が介護する対象は、老人の身体介護だけでなく病児や知的障害者や精神病、内部疾患を抱えた人をも対象としている。

 パーキンソン病の人が入所している老人施設で、パーキンソン病の事を知らずに「あの人は自分でできるのに、甘え心からコールを鳴らして他人にさせていてイラっとする」と文句を言う職員が居たりする。(何故それが問題なのかはパーキンソン病を調べてみてください)
 自傷歴のある統合失調症の人が入所する時には「専門外だよね」と文句を言う人が沢山居た。(いや、専門ですが何か?)

そしてその職員は素人だけど現場では「先輩」なのだ。




 ああ、しんどい。
 介護福祉士って、一体何なの?


 給料が高い職に就いた人のサンドバッグなの?誰にでもできるジジババの下の世話する人なの?それとも本当に「社会に無くてはならない大切な職業」の人なの?
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