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2016年11月04日14:19

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友達が死んだ

友達が死んだ。

先月の15日。

彼女は、子供が小さい頃住んでたマンションの後ろの、小さな一軒家に住んでた。
お互いに3人子供が居て、歳は10近く上だけど、なんだか気が合った。
どちらも、どちらかを否定する事がなかったように思う。
子供達もなんだか馬が合っているようだった。

「私たち親友よね〜」とかも言わない、のんびりした仲だった
いじめっ子体質の人が誰も居ない、幸せな集まりだったように思う。

子供が小さい頃は、お互いの家に子供ともども集めてはヨモギを摘んで「草もち」を作ったり、ツクシを摘んで「どうやって食うだ〜?」とか、クリスマスにはお互いに拙いお手製のケーキを作ってクリスマス会をやったりしてた。

子供がある程度大きくなったら、誘い合って飲み屋に行ったりカラオケに行った。彼女はお酒が好きで、飲み放題を頼んでいた。私は飲めないけど、一緒に愚痴を言い合ったり、普通の飲み屋でアニメソングをカラオケで歌ってひんしゅくをかったり、バカやって面白かった。
カラオケに行くようになって、二人とも中島みゆきが好きだとわかった。
なんか、似たもの同士やったんやね。

何かの話の拍子に「ボランティアでもやろう」という事になって、生駒市のボランティアセンターに行った。私は当時回転寿司屋でパートをしていて、休みが不規則だった事もあり、センターの人に「そんなんで何ができるのよ」的な対応で追い払われたが、彼女はその後きちんと勉強して「点字訳」ができるようになり「点訳家」になって、歴史小説なんかを訳していたようだ。
近所の小学校では地域の点訳家として授業もした事があるという事だった。

それはそれ、私たちはだいたい月に一回の週末、時間だけ決めて落合い、電車に乗って生駒駅周辺の飲み屋やカラオケボックスに出没し、飲んで(彼女は酒、私は炭酸飲料)歌った。

最近5年ほどは、私がシフト勤務に突入した事もあり、なかなか行けなかったが、「忘年会」とか「新年会」とか言いつつ、駄弁っては飲み、歌った。
彼女は物凄い音痴で、もう、どこからも突っ込めなかったが「金取ってる訳じゃ無し、好きに歌おうゼィ!」と言っては歌い笑った。


私も彼女も喫煙者だったので、スーパーの入り口近くの灰皿付近によく出没する。
最近は誘い合ってどこかに行くことも難しかったが、仕事帰りに灰皿の前でバッタリ会うと、うちの長男と「あんたとこのお嬢さん」のカップリングなどをネタに話していた。最近は体調がすぐれずに、顔色が悪かった。

彼女の娘(上記:あんたとこのお嬢さん)はうちの長男と同い年で、近所のスーパーで働いている。
先月の夜遅く、買い物してたらめっきり美人のおねいさんになった娘さんがいる。
いつも手を振って笑って挨拶するのだが、顔色が冴えない。
「母には言うなって言われてるんですけど、ちょっと入院してて・・・。あ、言っちゃった」

!!!どうした?!?
とにかく、次の休みにお見舞いに行くぞと伝えた。

次の休みに花を持ってお見舞いに行くと、激やせした彼女がベッドの端に座ってる。
手には点滴の針。輸液の中身はポカリスエット系の液だった。
普通にしゃべってる。でも目線がいつもと違う。認知機能に障害を受けた人のような目線。
内臓を先に悪くしてるなら、相当悪いのではないか・・・・・。
「お腹悪くしてな、下痢が止まらんのよ。あ、お茶買ってきてくれん?」

売店でお茶を買って、床頭台に置き、
「あと4〜5日で退院できるんだって」
「お!そうなんや?退院したら家覗きに行くわな」
「うん、わかった。ありがとね、またね」
「おう!またね〜」

が、彼女との最後の会話になった。


それから4〜5日経ってスーパーで会った”あんたとこのお嬢さん”が、私の姿を見つけて
「みきちゃわんさん、この前お見舞いに病院に来てくれましたか?」
「おう!花持って行ったよ。えらい痩せててビッピリポンやったわ。もう退院した?」
「実は、あの後、容態が急に悪くなって、今、集中観察室っていう所に居るんです」
「えええ!」
”あんたとこのお嬢さん”から状態を聞いて、もうアカン事がわかった。


私の前職は精神科。「ナチュラルコース」で死を迎える患者さん達が沢山居た。
呼びかけに反応なし。目線が固定して、断続的に痙攣・・・。その状態で元に戻った人を私は知らない。

息を飲んだ。思わず涙が出そうになった。”あんたとこのお嬢さん”が「良くなると信じてます」と言った。「そやな!そやな!」と何回も言って、帰った。

仕事から帰ってバッタンQの次の日、携帯の留守電に”あんたとこのお嬢さん”から留守電が2件入っていた。
彼女は亡くなった。

留守電の中で、”あんたとこのお嬢さん”は「今なら聞こえてるから親しいひとを呼んでくださいって看護婦さんが言ってます」と言っていた。
もう、言葉が出なかった。

亡くなってから殆ど話した事もない彼女の夫から、親戚のような扱いを受けた。通夜や葬式では会食に呼ばれ、骨上げにも参加した。
彼女の夫は昔も今も単身赴任で遠方に居る。
成長したとはいえ子供達が心配なのだろう、私が唯一近所の友達だったようだ。

死んでから彼女の寂しさが際立って見えた。
お互い転勤族だった。とはいえ、うちは仲が良いとは言えないが夫は居たし、今は親族が近い。
あんたとこ、そう言えば、ずっと父ちゃん居らんかったな・・・・

私は忙しく、じっくり彼女の死と向き合っている暇がなかった。
眠りの神様に見放されて、毎日徹夜明けのような体調が続いたが、ここ2〜3日風邪をひいたのか、落ち着いたのか、やっと眠れるようになった。

ふと、嗚咽が飛び出して、自分で驚く。
ああ、私はかけがえのない人を亡くしたんだと、自覚した。

友達を亡くすという事は、辛い事だったんだ。


ただ、ただ、寂しい。




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