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2016年10月04日06:45

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竹ノ平(上北山村) その4 まとめ

まとめ

[索道・森林軌道]
時の鉄路・三重県鉄道略史年表を追って見ると、
 1925(T14) 大又索道・賀田−竹ノ平間開業
 1938(S13)(営)池ノ宿線・竹ノ平−池ノ宿間開通 (※(営)は営林署のことと思われる)
 1952(S27) 大又索道・竹ノ平−大又間廃止
というのが該当箇所らしい。
図面を見ると索道駅「たけのたいら」から池ノ宿までを森林軌道がつないでいるので、上記昭和13年は索道ではなく大又森林軌道のことを指しているとわかった。
この森林軌道跡に関しては、トンネル訪問ブログが多く、中には説明板を転記されているので借用してみる。

林道・ダム・鉱山の勝手な記録/大又林道 大又隧道
http://netishim.seesaa.net/article/386168183.html
このブログ後半近く、大又隧道のところの記載に、
『ここに説明書きまであります。↓全文
「大又林道は、国道42号線側より、昭和14年(1939年) に木馬道を1,778m開設された。池の宿側は、文政スギ保護林まであった森林軌道を昭和27年から28年に 直営事業で自動車道とし12,362m開設され、佐渡林道14,171mと接続された。その後、1983年国道側より282m熊野市道として移管された。」1996年3月設置』

これらから、索道と森林軌道は同時に廃止になったと考えられる。
索道駅のあった長瀬谷には施設遺構が残っているのではないかと期待している。


[集落]
比較的大きな4つの集落を取り上げる。

1.竹ノ平 (上北山村河合)
http://maps.gsi.go.jp/#16/34.030087/136.083806/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0&d=v

備後川流域で、従来から人が住んでいた集落としては唯一ではないか。
大字河合の枝郷だったのだろうが、東ノ川地区に含むのかも分からない。
しかしここの情報は、冊子「東ノ川」以上のことはネットで集められなかった。
「東ノ川」によれば、竹ノ平は昭和2年から昭和15年までが最も戸数が多かったとある。国有林の開発では、索道設置以前に官行斫伐所(のちの製品事業所)ができたのではないかと想像するが、その場所が備後川沿いでもともとの居住地であり、山林労務関係者も住まいしていた竹ノ平周辺となったのもうなずける。
ただ、索道駅は土地や費用、地形の問題があって、備後川上流の長瀬谷に設置されたのだろうと思われる。

また気になるところでは、
・「東ノ川」p.50の竹ノ平の項でもと居住者として集落情報を語る竹平定松氏
・同冊子によれば、竹ノ平から転出した2戸が熊野市飛鳥町に住まいした
・元営林署に勤務した竹平巨嗣氏は、大又国有林を庭くらいに知悉している
・竹平巨嗣氏は熊野市飛鳥町に居住
これら関係者が何かの糸でつながれば新たな情報が得られそうだが、糸が見つからない。

一旦無人になっていたところに、江戸時代中期に来住したのが昭和まで続く竹ノ平集落の起源だと言うことだ。
池ノ宿は木地師が住んでいたという話があり、この一帯で似た状況かも知れない。


2.茗荷渕山 (熊野市五郷町桃崎)
http://maps.gsi.go.jp/#16/34.027971/136.084020/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0&d=v
昭和22年の米軍写真にもこのあたりに何かが見えるので、竹ノ平と共に大又・大谷国有林の斫伐事業当初から中心的な場所だったと考えられる。


3.池ノ宿 (熊野市飛鳥町大又)

写真1 昭和36年 事業所のある上地区。
http://maps.gsi.go.jp/#16/34.009670/136.076403/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0&d=v

米軍写真にも何か構造物が見える。
伐採事業後期の中心的な場所となった。
池ノ宿は比較的ネット情報があったと言うものの、疑問も残る。
昭和27年に大又索道を廃止し、翌28年には大又製品事業所を竹ノ平(茗荷渕山)から池ノ宿(上)に移転する。航空写真やサイト写真に建物が見えるが、どれがどれか不明。

備後川本流沿いの茗荷渕山や長瀬谷、朴ノ木山といった集落(朴ノ木山は、旧版地図には昭和32年から朴ノ木の名で登場する。)は、いずれも一連の国有林伐採に関連した集落と考えられ、一帯の人口は多かったのだろうと思う。
事業所の新旧所在は、森林軌道(現在の林道)延長で約4キロある。
人も移った可能性が高く、そうすれば分校は移転しなかったのか。
また閉校時期はいつだったのか。
わからないことが多く、情報が不足している。


4.長瀬谷 (熊野市飛鳥町大又)

写真2は昭和36年長瀬谷附近。
http://maps.gsi.go.jp/#16/34.025054/136.091101/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0&d=v

長瀬谷は索道発着点として物資集散拠点だったと思われる。
米軍写真ではやはり何か構造物が窺えるが、掲載の写真2(航空写真)では山に返りつつあり、様子もよくわからない。
米軍写真で集落位置を特定できる程度で、詳細は全く不明。
索道施設の一部が残っているだろうと予想している。




[現地への道]
現地の林道情報は、それなりに注目度のある場所らしく、情報は多い。備後川の谷に沿って備後川林道、塔谷林道、佐渡林道、大又林道などがあることがわかる。

ここ10年ほどの内にすべてにゲートが設置された。

備後川林道は、下北山村のR432備後橋たもとから備後川を遡行していき、途中で塔谷林道となる。橋から9キロほどで備後川を渡る二つ目の橋になるが、そのたもとに通常閉鎖のゲートがあるらしい。
ゲートから分校(茗荷渕山)までは4キロほどの道のりとなり、三叉路ですべて林道名が変わる。ここで左折して佐渡林道に入る。佐渡林道は熊野市飛鳥町大又のR42大又トンネル西側坑口付近に出る。
三叉路を直進すると大又林道となり、池ノ宿洞門から池ノ宿集落跡地を過ぎて、飛鳥町大又の池田平でR42に接続する。


何でもない旅の記録
大又林道〜佐渡林道/きなりの湯
http://blogs.yahoo.co.jp/guest_syu/12483490.html



行ってみたいところはたくさんある。
これだけの距離を回るには、やはりクルマを乗り入れたいし、そうなれば森林管理署(森林事務所)でゲートの鍵を借りるのが一番安心だろう。
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