(4) 高坂 研
mixi(平成26年1月19日)
合法な局面か?
この作、mixiの日記で発表した際には「0手詰」というやや挑発的なstipulationにしていた。その意味を説明するには、やはりこの人にご登場願わなくてはならないだろう。
(4-a) 柳瀬尚紀
0手詰(すばる 昭和59年9月)
作者ご本人は作意を公開されていないようだが、カピタンによるとどうやら作者の意図は、次のようなものらしい。
つまり、この局面は現在後手番で、その直前の先手の着手は44桂であった。その桂を後手はひょいと持ち上げて駒台に載せたはいいが、良く見ると先手の龍や角が遠くから利いているので、22角・43歩・52桂のいずれで取ることもできない。よってこの局面は、既に後手が反則負けしている!(「0手詰」という言葉を用いてはいるが、後手玉が通常の意味で「詰んでいる」訳ではないことに注意)
冗談としてはなかなか面白いと思うが、レトロ解析の立場からいうと、この局面が現在後手番であることも、その直前の着手が44桂であったことも証明できないというのは不満が残る。どうせなら、そこまで正当化できないものかと思ってしまうのである。
では、チェスプロブレムの世界においては、この種の冗談はどういう風に表現されるのか。その一例を見てみよう。
(4-b) Dr. Karl Fabel (New Statesman 1963)
#1 (6+1)
1.Sh4# ?? but illegal!
1...Kxf3 2.0-0#
この例では、1.Sh4?という偽作意が成立しないことが、簡単なレトロ解析によって証明できる。つまり、jokeとはいえ、作意手順はちゃんとロジックによって支えられているのである。これが、(4-a)と(4-b)の決定的な違いだ。
チェスプロブレムの場合、こういった局面の合法性に関する問題は、キャスリングやアンパサンといった特殊ルールと絡めて表現することが多いのだが、当然のことながら将棋にはそういうものはない。だがその代わり、所謂三大禁手(打歩詰、二歩、行き所のない駒)に絡めた表現が可能だというのが、私のささやかな発見である。
Fabelの作と同様に(4)の局面も、合法ではないことが恣意的な解釈ではなく、簡単なレトロ解析によって証明できる。そしてそのことが、本作をただのなぞなぞやとんち問題より少しだけ作品に近いものにしている筈だと、作者は確信している。
最後に、私の好きな0手詰、1手詰を紹介しよう。
(4-c) Mannis Charosh (The Fairy Chess Review 1937)
#0 (12+1)
(4-d) 山本昭一
1手詰(カピタン40号 平成元年7月)
これらの作品の解答はあえて載せません。ご存じない方は、作者の冗談が理解できるまで、どうか存分に悩んで下さいな。
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