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2020年02月17日15:53

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2月15日、西大寺観音院 裸祭りでした

 15日(土)は覚えていたのですが、私は 公民館ロビーの展示の飾り付けで
夕方まで孤軍奮闘してたら、ポン! ボン! バリバリ・ドカン〜!と
花火の音がして、「あ、ハダカ祭りの花火だ!」と気付きました。

 この日は、ハダカ祭の開始前に花火が夜空を彩り、ムードを盛り上げる、と
いう趣向です。公民館は 2~3km離れていますが、 花火はよく見えました。
友人と花火だけ見に行こうね、と去年から約束してたのに、二人が忘れてた。♪

 祭りのクライマックス、御福窓からの宝木(シンギ)投下は、以前は深夜12時
でしたが、最近は夜10時に変更され、さっさと早仕舞いです。昔は、方々の家で
親戚など宿泊客で大騒ぎだった様ですが、車の時代。色々様変わりしています。

 当日の様子や記事は、こちら↓でどうぞ!
【裸群うねる「西大寺会陽」「福」求め1万人が激しい争奪戦】
https://www.sanyonews.jp/movie/detail/985207
【岡山の奇祭「はだか祭り」、裸の男1万人が宝木争奪】
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3906660.html

 ハダカ衆は、近隣の人達だけでなく、随分遠方からも来る様ですし。外国人の
参加も目立ちます。なので 外国女性の応援で、黄色い声が飛び交ったりしてます。
祭りが盛んな時は、ワッショイの声が 海を越えて四国まで聞こえたとか・・?

 しかし、宝木(シンギ)を取るのは、訓練し尽くしたグループ連中で、幾ら素人が
掴んでも 走り出した時点で奪い取られる様で、ズブの素人が取った話は聞きません。

 おまけに、これは危険一杯の祭りです。1987年、祭りの奪い合いに参加した
岡山大助教授が心不全で亡くなり、2007年には、会社役員の方(45歳)が、裸の
男達の下敷きになり、救急車で運ばれましたが、翌日 全身圧迫で亡くなっています。

 祭りに死亡事故は付きもの、と したり顔で言う人もいますが、そんなの、遺族は
堪ったもんじゃない。そう言って正当化して、荒事の祭りは続いて来たのでしょう。

 岡大助教授の時、私は見物の中にいましたが、救急隊のアナウンスで事故が判明。
怪我人は救急車で運ばれて行きましたが、遠のくサイレンの音が悲しかった。
後日の新聞で助教授と分かり、心から悲しく残念に思いました。

 あれから20年以上経ちますが、今でも、裸祭りには余り行きたくありません。
裸祭りの時は、必ず黙祷してご冥福とご遺族のご無事を祈っています。
何の役にも立たないけど、そうせずにはいられません。
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