今朝のテレビ日曜討論でも「桜を見る会」のイカサマ?が問題になってましたが、
歌会始の陪聴者は、どう選ばれるんだろう? と、ふと思いました。
正面左側の前列、最初の席は安倍首相でした。大体、与党のお偉方が座ります。
あの実況中継には、画面にそれぞれの入選歌も文字で出ますし、解説も付き、
時には歌に関連する風景も出たりします。
歌の漢字が判るだけでも 理解が深まり、見聞きしていて 短歌に疎い私でも
感動頻りだったりして退屈しません。詠進歟がボツでも、楽しみにしています。
しかし、松の間に列席してる人たちには、そんな映像も見えなきゃ 解説も
聞こえません。古式に則って唱和される朗詠は、歌の言葉を長々と伸ばして続き、
男性コーラス(?)の雅びやかさ以外、人の声はありません。
何故なら、歌会始は、司会者もなく、開会や閉会のご挨拶もなく終始します。
聞こえるのは朗詠する人たちの声だけです。それが、正式の歌会始なのです。
今は、皆様、着席の状態から中継が始まりますが、以前は、参列者が起立した
松の間に、皇族方が静々と入場なさり、無言の内に儀式が始まっていました。
歌会始の陪聴者は、毎年80人ほどが参列します。誰がどの様に選ぶのでしょう。
開かれた皇室なら、陪聴者を 全員 お偉方で固めず、せめて1割位は庶民も入れて
頂くのは如何でしょう。そんな宮殿に庶民が入る事など有り得ませんから。
陪聴者に、佳作者から何人か招くとか、何か出来るんじゃないでしょうか。
そんな声が上がっても不思議じゃない令和の時代では?・・と思うのです。
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