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2020年10月14日22:30

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もうちょい若い人かと思っていた>筒美京平氏

自分メモとして日記化

80歳になられた人だったんだ、というのが驚き。まあ初期のヒットが1956年(26歳)というから、かなりの老齢ではあるのだが、イメージとしては後段の別記事に登場する作詞家松本隆氏の71歳くらいなのかな、と思っていた。

生涯売り上げ枚数が7160万枚という途方もない数字は、さもありなん、だけど、意外だったのはミリオンの少なさ。手元にデータがないが、売り上げトップ10(どれも口ずさめそう)のうちトップ3までしか百万枚は越えてない。ただ、全盛期のJ−pop、歌謡曲の売れ方が、お茶の間で唯一の娯楽であるテレビを家族全員でみる、対象であったこと。それ故に、幅広い世代に受け入れられる楽曲が多いこと、などが、冒頭にコピペした記事からもうかがえる。(米津のアルバム150万枚は数倍に見るべき、というのには完全に同意する)

この十年弱は作品は無いのだろうか?でも、2010年代まで、各年代でトップ10入りした楽曲がある(さすがに令和の作品はないのか)とか、筒美氏ならではの逸話、そのうちまとめて関ジャムでやってくれないかなあ。松本隆氏あたりのロングインタビューとともに。


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筒美京平の偉大すぎる仕事、独断の20選 レコードジャケ写で振り返る 矢島美容室の元ネタや世界的SFも
2020年10月14日 07:00
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作曲家の筒美京平さんが10月7日、死去しました。歌謡界において唯一無二の存在である巨人の訃報に、各界から追悼コメントが絶えません。そんな筒美さんの魅力を存分に伝えるべく、歌謡曲ファンの記者が所蔵するレコードの中から、筒美さんの仕事の幅広さが分かる20枚を厳選して紹介。彩りがいまだ色あせないレコードジャケット写真とともに振り返ります。(北林慎也)

【ジャケット写真】筒美京平作曲、珠玉のレコードたち 独断で選ぶ名曲20選

記者所蔵の盤から急遽チョイス
記者が所蔵するシングルレコードから、ジャケットが印象的だったり話題となったり、エポックメイキングだったりする、筒美京平さん作曲の20枚を選びました。

ただ、ふだんCD全集やデジタル音源で曲を聴くことが多い記者にとって、レコード収集はあくまでコレクターズアイテムとして手元に置きたい、という盤に限られます。
そのため、編曲を筒美さん自ら手がけていたり、ディスコサウンド仕立てだったり、特に好きな歌手の作品だったりと、記者の趣味に沿った盤が、おのずと多くなっています。
同じ理由で、思い入れたっぷりの大好きな曲なのに貴重でなかなか手に入らない、という盤も対象外。たとえば、「レッツ・ゴー・サザエさん」(加藤みどり)などです。
これらの理由から、著名な曲や好きな曲に漏れなく言及したり、全時代をバランス良く網羅したりはしていません。また、1980年代末期以降のCDは、記者が収集の対象としていないため除外されます。

それでは以下、このような縛りで記者が選んだ、1968年6月〜1985年9月リリースの、バラエティーに富んだ20枚を年代順に紹介します。なお、紹介文中は敬称略とします。

いしだあゆみ「太陽は泣いている」
1968年6月
作詞:橋本淳 編曲:筒美京平

1960年代にはやった、ヒッピー文化に由来するサイケデリック文字。グループサウンズ(GS)以来、レコードジャケットのタイトル文字に好んで用いられ、この曲のジャケットでも、控えめにスタイリッシュに配している。
ただ、その思想性と歌謡曲カルチャーとの間に直接の関係はなく、1970年代早々に廃れていった。
プレーンなメロディーが耳なじみの良い楽曲は、現在に至るまで、様々なアーティストによってカバーされている。

オックス「僕は燃えてる」
1969年3月
作詞:橋本淳 編曲:筒美京平

筒美にとって最初期の作品の多くは、GSの楽曲だった。「失神バンド」ことオックスも、そのうちの一組。
GSレコードのジャケット写真(ジャケ写)は、そろいのミリタリールックに身を包んだ集合写真が定番だったが、GSブーム末期のこちらはウェスタン風の衣装。
ちなみに、レコード定価は370円。消費税はまだない。

平山三紀(みき)「ビューティフル・ヨコハマ」
1970年11月
作詞:橋本淳 編曲:筒美京平

「真夏の出来事」で知られる平山のデビューシングル。
同じく横浜を舞台とした「伊勢佐木町ブルース」がヒットしていた青江三奈を意識してか、埠頭の海風になびく茶髪が印象的なジャケット。
当時コンビを組むことが多かった橋本が手掛ける詞の世界は、「素敵な男がいっぱいいる」不良少女が主人公。ただ、洋楽テイストのしゃれたメロディーに乗って列挙される「サダオ」「ハルオ」といった男友達の名前によって、否応なしに昭和40年代の現実世界に引き戻される。

尾崎紀世彦「ふたりは若かった」
1972年3月
作詞:阿久悠 編曲:筒美京平

歌い手の尾崎ばかりでなく、阿久と筒美それぞれにとっても代表曲となった、1971年レコード大賞「また逢う日まで」。その後日談を思わせる、ヨリを戻すカップルの物語とも解釈できる、言葉少なながら豊穣な世界観は、まさに阿久の真骨頂。
開襟シャツの大きな襟は、当時の男性歌手ファッションの定番。大ヒット後の心機一転を示すように、「'72尾崎紀世彦 ラブ・ロック・サウンドに挑戦!」という小さい活字のコピーが躍る。

欧陽菲菲「恋の追跡(ラヴ・チェイス)」
1972年4月
作詞:橋本淳 編曲:筒美京平

ジャケ写は、オリエンタル風味の颯爽としたパンタロン姿が印象的。
ベンチャーズ歌謡「雨の御堂筋」でデビューした欧陽。そのインパクトとキャラクターはそのままに、以後の作品を手掛けた筒美が、彼女をソウル歌謡の第一人者へと導いていく。
NHK紅白歌合戦での激しすぎるステップと熱唱も記憶に残る、ブラス・ロック歌謡の到達点。

浅田美代子「赤い風船」
1973年4月
作詞:安井かずみ 編曲:筒美京平

ボーカルとコーラスが慌ただしく入れ替わるクリティカルな作風(近藤真彦「情熱☆熱風(月マーク)せれなーで」や河合奈保子「ジェラス・トレイン」など)を得意とした筒美が、シンプルで優しいメロディーラインで組み立てた傑作。まるで書道の達人の一筆書きのような、明快ながら懐深い、作曲家としての怪物ぶりを伺い知る一曲。
「ミヨちゃん」と呼ばれお茶の間で親しまれた、あどけなく初々しいオーバーオール姿のジャケ写もいとおしい。

麻丘めぐみ「森を駈ける恋人たち」
1973年4月
作詞:山上路夫 編曲:筒美京平

女性アイドル創成期を文字通り駆け抜けた麻丘の、代名詞でもあった姫カットが強調される顔アップのジャケ写。
筒美が得意としたメロディー転調が要所で生きる、文句なしに格好良いソフトロック。

つなき&みどり「ふたり」
1973年7月
作詞:橋本淳 編曲:筒美京平

当時なぜか多くいた夫婦デュオのうちの一組。
夫の「つなき」こと三原綱木は後に、ビッグバンド「ニューブリード」を率いて、歌謡番組おなじみの指揮者として活躍する。
印象の薄い地味なジャケ写とは裏腹に、曲自体は洋物趣味の濃い、ゴリゴリのソウル歌謡。

リンリン・ランラン「恋のインディアン人形」
1974年4月
作詞:さいとう大三 編曲:筒美京平

当時、筒美が傾倒していたソウル歌謡のヒット作。
香港出身の姉妹デュオが、なぜかアメリカ先住民ギミックで歌うという、曲の無国籍感に拍車をかけるビジュアルも印象的。

南沙織「夏の感情」
1974年6月
作詞:有馬三恵子 編曲:筒美京平

当時の健康的で理想のアイドル像を体現していた南の魅力を混じりっけなしに伝える、顔アップのジャケ写。
細野晴臣らのキャラメル・ママ(ティン・パン・アレー)演奏による、中古レコード市場でも人気のグルーヴ歌謡。
大変そうな息継ぎを苦もなく快活に歌いこなす、実力派ボーカリストとしての南の地力が垣間見られる。

スリー・ディグリーズ「にがい涙」
1975年2月
作詞:安井かずみ 編曲:深町純

とんねるずと綾小路翔による企画ユニット「矢島美容室」の元ネタとなる、米国の女性ソウルボーカルユニット。
「来日記念盤」と銘打ち、日本向けオリジナル曲として制作された。ジャケ写をよく見ると、綾小路の扮装の再現度の高さが分かる。
その時どきにはやった洋楽のエッセンスを巧みに取り入れ、国内向けに再解釈するという、京平作品のメタ構造が顕現化した興味深い一曲。知らずに聴けば、たどたどしい日本語も相まって、邦訳セルフカバーにしか聴こえない。

Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス「セクシー・バス・ストップ」
1976年3月
編曲:Dr.ドラゴン(筒美京平)

前後して浅野ゆう子に提供した楽曲の、さらにディスコサウンド寄りのインストゥルメンタル版。
Dr.ドラゴンこと筒美が自らプロデュースする匿名バンドユニットの演奏で、尺八まで取り入れた「洋楽アーティストの東洋趣味」仕立てが絶品。
盛りまくったアフロヘア女性のイラストが描かれたジャケットの裏面には、「ニューヨークのディスコで流行」と称する、怪しげなダンスステップの教則イラストが描かれている。

郷ひろみ「洪水の前」
1977年7月
作詞:岡田冨美子 編曲:船山基紀

デビュー以来の中性的で可愛らしい郷のイメージから一転、シャツごと水(汗を表現?)に濡れた姿で大人の色気をアピール。
この「濡れジャケ」とでも呼ぶべき潮流が、確かにレコードジャケット界には存在する。

岩崎宏美「シンデレラ・ハネムーン」
1978年7月
作詞:阿久悠 編曲:筒美京平

三木たかし作曲の傑作「思秋期」などを経て、岩崎にとって6作ぶりの京平作品。ジャケ写からは、二十歳前の凛々しく自信に満ちた表情が伺える。
この年のNHK紅白歌合戦では、曲順序盤お約束の超高速伴奏でも破綻なく歌いきり、あらためて実力派を印象づけた。「宏美ちゃんにその(結婚の)喜びが来るのは、いつの日のことでしょうか。いよいよお年頃〜」という曲振りアナウンスの余計なお世話感が、なんとも時代を感じさせる。
後に、コロッケによるものまねの鉄板ネタとしてもお茶の間で親しまれた。

山内恵美子「太陽は泣いている センセーション'78」
1978年7月
作詞:橋本淳 編曲:筒美京平

前年に世界的ヒットとなった、サンタ・エスメラルダ「悲しき願い」そっくりな、フラメンコ仕立てのディスコ歌謡。
筒美自身の編曲で、いしだあゆみのヒット曲を再構築した。編曲家としてはセルフカバーとなる。
後ろに黒人男性モデルを従えたジャケ写も雰囲気たっぷり。
ただ、俳優出身の山内はあくまで、アイドル歌謡風にハキハキと歌い上げる。そんな、歌唱と演奏との微妙なテンションのズレさえも味わい深い。

中原理恵「ディスコ・レディー」
1978年8月
作詞:松本隆 編曲:筒美京平

前述の山内と同郷(北海道函館市)の中原にとって、これまた同じくサンタ・エスメラルダ風のデビュー曲「東京ららばい」に次ぐ2作目。
ジャケットも、シックで大人びた曲調に合わせて、モノトーンで落ち着いた装いとなる。
B面の「SENTIMENTAL HOTEL」は、よりディスコ風味が濃くて渋い佳曲。

榊原郁恵「ROBOT(ロボット)」
1980年6月
作詞:松本隆 編曲:船山基紀

YMOに触発されたかのような、意欲的なテクノ歌謡。この路線は後に、小泉今日子への提供曲「迷宮のアンドローラ」へと進化を遂げる。
ただ、実験的な楽曲の割には、ジャケットは極めて正統派。
同じく電子ドラムのアクセントが効いたB面の「恋はう・ら・は・ら」は、曲調にとらえどころがない不思議なアイドル歌謡。榊原が自身のインスタグラムで寄せた追悼コメントによると、実はこちらがA面候補だったという。

近藤真彦「ブルージーンズ メモリー」
1981年6月
作詞:松本隆 編曲:馬飼野康二

ライダースジャケットをまとった、自身が主演する同名映画の宣材風ジャケ写。
初期のマッチ提供曲では、松本・筒美コンビの傑作が量産された。いずれも、マッチのボーカルと女性コーラスの掛け合いが特徴で、コーラスがない後世のカバーアレンジが物足りなく感じるのはそのためだ。
ただ時たま、「ギンギラギンにさりげなく」の作詞が伊達歩(伊集院静)だったり、「ハイティーン・ブギ」の作曲が山下達郎だったりする。そして、大御所と比較されながら、いずれ劣らぬ名曲を残した両氏の力量もまた、刮目に値する。

小泉今日子「まっ赤な女の子」
1983年5月
作詞:康珍化 編曲:佐久間正英

作詞・作曲問わず実に多彩な作家陣が参画し、それぞれに甲乙つけがたい魅力を放つ小泉の珠玉の楽曲群。
そんな優れたクリエーターたちに触発されるように、自らも旧来の固定観念的アイドル像の呪縛から脱し、自立した新時代のアイドル像を確立していくが、この曲はそれ以前の、オーソドックスなアイドル歌謡。
この頃はジャケット意匠もまだ控えめで、女性アイドル定番の健康的な顔アップ写真となる。

下成佐登子「TRANSFORMER(トランスフォーマー)」
1985年9月
作詞:大津あきら 編曲:鷺巣詩郎

いまや世界的なSF実写映画として知られる、シリーズ最初のTVアニメ国内版「戦え!超ロボット生命体 トランスフォーマー」の主題歌。昔はこういう、無責任にけしかける物言いの副題が多かった。
ジャケットに描かれた劇画仕立てのロボットイラストは、当時はやったガンプラのテイストに通じる。裏面には、歌い手である下成自身の写真が配されていた。
B面のエンディング曲「Peace Again(ピース・アゲイン)」は、まだ続きそうなところで曲が終わるという、これまた京平作品に多い作風の一曲。

レコード時代以後も名曲がたくさん
以上、記者による筒美京平コレクション20枚の紹介でした。

レコード盤からCDにリリース媒体が移行した1980年代末期以降、さらに、ダウンロード&ストリーミングで聴くスタイルが定着した2000年代以降も、筒美さん作曲の名作は数多くあります。
中でも、携帯電話キャリアのCMソング「恋のダウンロード」(仲間由紀恵 with ダウンローズ)は、文字通りのダウンロード音楽でした。
これらの素晴らしさも今後、次の世代に語り継がれることでしょう。

記者がここに挙げたように、熱心なファンであればあるほど、いや、そうでない人もきっと、それぞれ心の中の京平ベストがあるのではないでしょうか。
訃報を伝えるニュースをきっかけに、知らずに口ずさんでいた昔なじみの曲が実は筒美さんの作品だった、という気づきがあった人も多いことでしょう。
それぞれ思い思いの京平セレクションを語らうことが、この偉大すぎる国民的作曲家への弔いになるはずです。

皆さんの筒美京平ベスト・セレクションもぜひ、コメント欄やSNSで教えてください。

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筒美さんとタッグ松本隆氏が思い「ありったけの愛」
2020年10月13日 07:41
日刊スポーツ

作詞家の松本隆氏(71)が13日早朝、ツイッターで、今月7日に亡くなっていたことが分かった作曲家の筒美京平さん(享年80)を悼むコメントを発表した。

太田裕美の「木綿のハンカチーフ」や桑名正博さんの「セクシャルバイオレットNo.1」、近藤真彦の「スニーカーぶる〜す」など数々の楽曲で筒美さんと“タッグ”を組んできた。

松本氏はかつてテレビ番組で筒美さんと対談した際のツーショットとともに「神戸のラジオ局でマイクに向かってると、『京平先生が亡くなった、、、』と太田裕美からメールが入った。瞬間、涙の洪水になりそうな心を抑えて、平常心を保ちながらラジオを終わらせた。取り乱さなくて偉いでしょ、褒めてよと天国の京平さんに呟く」と訃報に接した際の思いをつづった。

また「作詞家になった瞬間、目の前に筒美京平は立っていて、先輩と後輩であり、兄と弟であり、ピッチャーとキャッチャーであり、そして別れなければならない日が来ると、右半身と左半身に裂かれるようだ」と悲痛な思いを明かし「ぼくが京平さんからもらったものはありったけの愛。彼ほどぼくの言葉を愛してくれた人はいない。ありがとう、京平さん。いつかぼくも音符の船に乗り、天の園に舞い上がる日が来る。少しの間、待ってて。そうしたら笑顔で、喜んだり怒られたり哀しんだり楽しく語り合おうね」と悼んだ。




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秋元康氏が筒美京平さん悼む「改めてリスペクト」
2020年10月12日 19:26
日刊スポーツ

誤嚥(ごえん)性肺炎のため7日に亡くなった作曲家の筒美京平さん(享年80)の訃報を受けて、小泉今日子(54)の「なんてったってアイドル」など多くの楽曲でタッグを組んできた作詞家の秋元康氏(62)が、関係者を通じてコメントを寄せた。全文は以下の通り(原文まま)。

突然の訃報にショックを受けています。僕が22歳の頃、レコーディングスタジオでお会いしてから、幾度となく、食事に誘ってくださいました。とても、お洒落な方で、料理やワインの選び方など、いろいろ教えていただきました。

「◯◯はどう思う?」とか、「◯◯は何で売れてるの?」とか意見を求められるたびに、僕なりの考えを話すと、「ふ〜ん」と笑いながら頷いていたやさしい眼差しを思い出します。“ヒットとは何か”をいつも考えてお仕事をなさっていた気がします。

その時々の時流に合わせながらヒットを飛ばし、それでいて、どんなに月日が流れても古くならない筒美京平作を改めて、リスペクトいたします。ここ数年、お会いできなかったのが残念ですが、それも筒美京平先生らしい美学だったのかとも思います。

安らかにお眠りください。合掌。
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