さて、昨日の続きで甲武鉄道敷設のためには鉄橋が必要です!!
また、日野用水のコルベルトにも煉瓦が必要なので、
何と明治21年にその目的で日野煉瓦製造所を新設してしまいました
以前にも書きましたが、江戸時代の日野宿は
八坂神社と日野駅の間の交差点を曲から
日野警察手前の立日橋につながる道までの約1キロで
両端ともそこで直角に曲がって一直線に江戸に攻め上がらないようになっていました
日野煉瓦製作所は日野塾の外れ、警察署の向当たりにあったようで、
約2年半で50万個の煉瓦を焼いたようです
日野煉瓦についての個人のブログ
http://www.tamatebakonet.jp/town/detail/id=125
日野煉瓦は手抜きの煉瓦と言われますが、
それはいい加減の意味では無く、手で粘土を木枠に入れて固めて出して
火で焼いたって事で大きさにも若干違いが生じます
JIS規格が制定されたのは大正10年1921年からで、
それ以降の煉瓦の大きさは長手(一番長いところ)は21.5センチになりましたが、
日野煉瓦を始め明治時代の横浜や丸の内の煉瓦はそれより大きいそうです
日野橋には20万個使われ、浅川の鉄橋にも同じくらい使われ
残りは日野駅や日野用水に使われたのでしょうが、
それが出来ればそれで終わりって潔いですね
50年以上も前に多摩川の鉄橋の下で泳いだり遊んだりした時は
煉瓦の橋脚だったと思うのですが、補強のために周りをコンクリートで囲われて、
現在は上り線の1本しか見られないようです
歩いて間近に見られて触れるのは日野側の橋脚ですが、
落書きを塗りつぶすために下が白く塗られていて、これも残念です
郷土資料館の館長は「煉瓦の積み方にはイギリス式とフランス式があって、
彼女の前で披露するとモテるよ
」と言っていたので、
そこの貴女、今度あったときにこっそり教えますね
まだまだ、エロエロあるので続きも楽しみにね
皆さん
イイネ
お願いしま〜〜す
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