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2017年03月18日21:28

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最後の日記

今日で40回目の誕生日を迎えることになった。
年初めの抱負通り、今日をもってこのmixiでの日記と、プライベートにおける奔放な書き込みの一切をやめることにする。時期的に鑑み、あえて「卒業」と位置づけたいと思う。

20歳で成人式を迎えたときに己に課した制約は、「人前で幼稚な振る舞いをしない」ということ。
それ以来20年、たとえ親しい間柄であっても、プライベートにおいてゲームだのまんがだテレビだといった子供じみた会話は徹底して一切慎むようになった。人並みに、大人としての仮面を身につけるようになった。なので知り合いは、私がゲーム好きなどとは知らないし、そもそも何が趣味で好みかというような個人情報は曖昧にしてある。それが大人としての模範的答弁だからだ。

30歳を迎えたときに己に課した制約は、「ネット依存を克服する」ということ。
リアルで己に課した制約の反動で、顔も名前も年齢もわからぬネット上の間柄であるなら、大人の制約の埒外である、という理屈で、ネトゲーやら匿名掲示板やらまとめブログやらで鬱憤を晴らすようになってしまった。当然、重度のネット依存症をこじらせてしまったわけで、その対処療法としてワラにもすがったのがこのMIXI日記ということになる。

「居心地がいい」というのが、ネット依存の最大のポイントである。
よって、ひたすら己の居心地を悪くさせることに腐心し続けた。他者と必要以上に同調しない、孤立しているという立場が重要になる。競争もするべきではない。評価の基準を相手に預けてしまうのは、決して幸福にはなれない考え方だからだ。基準は己自身の中にあればそれでいい。
東大に合格しても、東大内ランク最下位で屈辱を覚えるというのでは、本末転倒も甚だしい。
自分以下に優越意識を抱く必要もなければ、他者と自分を比較して一喜一憂する必要もない。
そうやって感化されて、結局泥沼に嵌り込むことを考えれば、最初から関わらないほうがいい。

他者に執着しなくなったとき、ネット依存症は克服されるものである。
馴れ合わないスタイルで、馴れ合いのメッカに居続ける訓練を続けるうち、やがて克服された。
20代の終わりに訪れて、約10年間続けたこの日記も、30代の終わりとともに去ることとなった。

そして、40歳で己に課す制約は、「幼稚な発信の一切を断つ」ということ。
ネットの世界も大きく広がって、もはや現実の延長上の世界である。年齢を考えれば、自分のプライベート空間であっても、PCの向こう側に公私の「私」をのさばらせるべきではない。
これまでの制限で、わずかに掲示板への書き込みと、ただ日記をつける程度に自分を制御してきてはいるもの、幼稚な発言を他者に発信していることには変わりがない。よってやめる。
長年の訓練で、己の中の「大人力」とて強大無比に成長してもいるので、持て余すような感情を抑えるのに、もはやくだらない書き込みに頼らずとも済みそうである。


成人式を迎えた日以来、現在に至るまで延々と脳裏に疼くのが、「おまえは、まだ遊び足りないのか?」という声である。呪いといってもいい。勉強も運動も放擲して、カネも時間も全てをゲームに費やすという放埒な10代を過ごしてきた負い目が、強烈なコンプレックスになっている。
会社勤めを嫌って、奔放な自営業を選んだことも、その追い風になっているのかもしれない。
とにかく、大人以上に大人でなくてはならないという強迫観念めいた思いが鳴り止むことがない。たぶん、死ぬまで決してない。
土方、近藤が、あのような狂気じみた局中法度を制定したのも、自分たちが武士でもなんでもなく、ただの多摩の百姓でしかないという強烈なコンプレックスの裏返しであったのと同じだろう。


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・話は変わるけど、コロコロコミックも40周年とのこと。
あのコロコロと、生年月日がほぼ一緒というのはじつに名誉なことである。ボンボンとかと一緒ならちょっと残念な話になるからな。あと、東方作者のズンとかいう奴とも生年月日おなじらしい。

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・ビックリマンも40周年か。
あの頃きらめいた少年少女が醜いオッサンババアかと思うと、もうネットになんの未練もないわ。
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