mixiユーザー(id:1041518)

2020年06月04日14:49

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9冊目に突入

ギリシャ語で読むアリストテレス『形而上学』のノートが8冊目を終了し9冊目に入った。今回は2か月と23日かかった。年間4冊ペースなのであと30冊くらい(7〜8年)か。

ノートが一冊終わるたびにmixiの日記に何かを書くことにしている。道は遠いので、僅かしか歩いていないにしても里程標を過ぎるときは、自分をねぎらいたいからだ。今日はわたしがなぜ古典ギリシャ語を始めたのかを書いておきたい。

定年になって一年もしない頃、勤めていた会社の飲み会に誘われたことがある。当然毎日何をしているのか、と訊かれる。私は当時時間割に従って生活していた。日課として重要なものはハイデッガーの『存在と時間』(訳書--柴田三吉さんがくれたのだ)を読むことと英書のバーンズ『初期ギリシア哲学』を翻訳することだった。自分としてはソクラテス以前のギリシャ哲学を学びたいと思っていたのでそう言うと、「じゃあギリシャ語で研究してるんですか」と後輩に訊かれた。それまで私はギリシャ語をやる気はなかったが、その単純な質問を前に、そうだよなぁ、ギリシャ哲学を研究していると言うのなら古典ギリシャ語が出来なければ話にならないよなぁ、と思ったのだった。

小学校時代に子ども向けのシュリーマンの伝記を読んだ時の感動は今も忘れられない。本を読み終わって自分がどこにいるのか一瞬わからす、現実に帰って来るのにめまいを憶えるほどだった。シュリーマンの古代ギリシャとその言語への愛情はすさまじく、これを語り出すとキリがないので今日はやめておく。ただ私はいつもシュリーマンを思っては自分のダメさ加減をなじっていた。クセジュ文庫の『ギリシア文法』を神田の古本屋で買った日に、そんなものを買ってどうするんだという自嘲的な詩を書いたこともある。ギリシャ語などやるはずもないのに、と。しかし退職後、後輩の一言で始めてみようと思った。その後文法書を買ってきて一年半、文法の勉強をし、ネットにあったプラトンをノートに写して翻訳を始め、もうすぐ11年が経つ。写し訳した大学ノートは計28冊である。

ぐだぐだ書いているが、言いたいことは絶対にやらないと思っていたことでも、ひょんなことから始まることもあるということだ。会社のその後輩にはとても感謝している。彼は自分の言ったことも忘れていることだろう。当然ギリシャ語で読んでいるんでしょ?と軽く言われて何くそと思ったのかもしれない。とにかくやってみようと思った。仲間がいないのは寂しいが、一人でも飽きずに10年以上続いているのだから、好きなのだろう。今はやっていないが土曜日はいつもカミさんが試験官になってギリシャ語単語テストをしてくれた。これにも感謝である。

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