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2020年02月27日16:14

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「出社に及ばず」のパンデミック

コロナウィルス問題はどこまで行くのか先が見えない。私が所属する詩人会議は毎月行っている企画を当分みな中止し、千葉詩人会議も、この前出した例会の日程変更に追い討ちをかけて「中止」せざるをえなくなった。電話嫌いの私が電話しまくった。

電通や資生堂が全社がテレワークとかに緊急退避したというのを聞いて、それができる企業があるのだと感心もし、また人が会社に群れて仕事をするシステムの崩壊の前触れを見るような気がした。考えてみれば、貨物車で運ばれる馬にしても、人間を詰め込んで走る通勤ラッシュの苛烈さには及ばない。人間はことこの件に関しては動物以下なのである。それがウィルス感染への恐怖から、どれだけ異常なことであったのかが浮き彫りになってきた。

満員電車での人間の運搬はまた、首都圏への異常な局所集中の象徴でもあろう。ビジネスのために人が波のように押し寄せては引いていくが、そこで夜眠る住民は減少していく。中にはそこに住みに流入する者たちもいるが、多くは本来人が住めぬ天空に蜂の巣状に聳えるタワーの中である。勤労者たちは昼間そこへ通うことを拒絶すれば職を失うので、最も恐れる言葉は「明日から出社には及ばず」であった。

だが今日、目にも見えぬ新型コロナウィルスの地表への蔓延によっていともたやすくその言葉は発せられた「出社に及ばず」と。そして誰も会社に行かなくても仕事が進んでいく社会の可能性を示したのである。もちろんこれは期間限定の対応であり、それが可能な一部企業に限定されるし、長期戦略となれば話は別かもしれない。だが、それは片鱗には終わらないであろう。これは期せずして行うことになった壮大な社会実験ではなかっただろうか。いつかはそれがなされなければならぬ転換を促したきっかけの事件として後世の人々は歴史に刻むかもしれない。

そしてまた、ニュースを見ていると中国を初めとして「これは戦争だ」という言葉に遭遇することも多い。うむを言わせず国民世論が流れていく事態はどこか、過去にもあった雰囲気ではないかと不気味である。それをすぐに概念的な権力批判に結びつけるのではなく(現政権の対応のひどさはもちろん理解してますが)、自分たちの心の動きをも観察してみる必要があるのではないか、とふと思う。国際的規模で疫病が蔓延することを示す「パンデミック」という語はもともとギリシャ語「パンデーミアー」(あらゆる民衆)から来ている(「パン」=全ての、「デーモス」=民衆の、その女性形「デーミアー」)。「デーモクラティア」(民主主義、民主政体)と同じ語源から発した言葉だ。疫病は平等で民主主義的である。

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