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2020年02月22日11:40

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最後の「桃の忌」

昨夜は池井昌樹さんに声をかけられて会田綱雄さんを偲ぶ「桃の忌」に出かけた。冒頭の池井さんの挨拶で、今年が30回目で、これを一つの区切りとしたい旨が伝えられた。イレギュラーで今後何か企画するかもしれないが、毎年の「桃の忌」は今回で終りということだ。30年間、よく続けてこられたなぁと池井さんの会田さんへの想いの深さを思った。初めて参加した私と北島さんは今日一度だけだったけど来れてよかったねぇと言いあった。『森羅』のもう一人の同人、粕谷栄市さんは何が何でも行くと言われていたようだがドクターストップもかかっているので、池井さんが固く禁じたとのことであった。

着いたらすでに来られていた渡辺めぐみさん、久しぶりの中上哲夫さんに会い何となくほっとする。北島理恵子さんや松下育男さん、金井雄二さん、井川博年さん、小池昌代さんも間もなく到着した。以前、廿楽順治さんがこの会のことを書かれていたので見えるかと思ったが会えなかった。手紙のやりとりはしていたが初めて会ったのが和田まさ子さん(詩集『軸足をずらす』で昨年の詩歌文学館賞)。郷原宏さんとも初めてお話をした。福間健二さんは今度6本目の映画「パラダイス・ロスト」が公開されるそうだが、みんな彼を“監督”と呼んでいた。二次会では私と席を交換してまで焼き物などに励み、あぶったり切ったり配ったりマメであった。料理好きだなあと感心していると、「監督は雑用係だからね」と言っていた。また最終の私鉄が亡くなる時刻まで飲んでしまった。最後に御茶ノ水まで話していたのが江代充さんで、昨年の高見順賞の『切抜帳』を読んでいなかったので私の詩集と物々交換する約束をして別れた。

会田綱雄さんには生前一度だけお会いしたことがある。『詩人会議』誌に連載した「詩人交遊録」のインタビューに行ったのだ。その日同行し、文章化してくれたのは当時編集員だった中村明美さんである。会田さんがインタビューのあと数か月後に亡くなったと最近知った。連載は1990年1〜3月号だった。亡くなったのは2月22日である。念のためコピーを池井さんに渡したが、すでに持っていた。会田愛からすれば当然な気もするが。「でもせっかくなので戴きます」と受け取ってくれた。

マスク姿で電車の中で立っていると、誰かが私の頭をつつくような気がする。そういう時やおらそちらを見たりするとガンをつけたとか剣呑になるのでほっといたが、少し経ってゆっくり振り向いたら、それは私が抱えていた桃の木の枝であった。帰りぎわ、参会者に手渡された。池井さんの詩によく登場する奥様から。透明樹脂で花束のようになっていた。なんだ、おまえだったのか、と私は枝に向かってひとりごちた。桃の花というのは可愛いものだなと思った。もうすぐ桃の節句だ。

翌朝起きたら、カミさんが自作の花瓶にいれてくれていた(写真)。
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