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2019年06月25日14:35

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ひそかに困る

塩野七生『ギリシア人の物語3』の図書館人気もそろそろ一段落だろうと申し込むと、翌日「用意ができました」とメールが来た。17冊所蔵なので割と回転がよいのか、まだ半年しか経っていないのに、と本の奥付をみると、私が昨年暮れ刊行と思っていたのは2017年の勘違いであった。

このように人生は過ぎていくのだ、と思った。半年と思っているとすでに一年半たっている。三年という月日はこんなものか、と感じているすきに七、八年が経過している勘定になる。過去を数えることができるうちはまだいい。もうこの世にいない可能性も相当高くなってきた。同3巻の主役アレクサンドロスとたいして違わない過去の人となるのである。楽しみは取っておこうと老人くさい発想もあったのかもしれないが、「あとで」と思ったまま一生読まない本の数は星の数ほどあるだろう。

著者のあとがき「十七歳の夏--読者に」が面白そうなので読んでいたら、若い頃あこがれのローマ世界に行くためにヨットのヒッチハイク(もちろん労働付き)でヨーロッパを放浪した話が載っていた。それから著述業に進んだ経緯のあと、読者への感謝の言葉がある。「五十年にわたって書き続けてこれたのは、私の作品を買って読むことで、私が仕事をつづける環境を整えてくれた読者がいたからである」。この文章の最後はこうだ。「グラツィエ・ミッレ」つまり「一千回もありがとう」。私はそこでひそかに困る。私はギリシア人シリーズを全部、図書館で借りて読んだからだ。

私は(詩集は別だが)赤線を引いて読む本しか買わない。読み返す時に便利なように。つまり一度読んで終わる本はどんなに面白くても所有する必要はないわけだ。しかもありがたいことに図書館システムの充実によりかなりの本は探し出せる時代になった。そういうわけで私は本を書いて暮らしている人たちへほとんど貢献することなく生きている。塩野七生さん、お許し下さい。二千万円が老後不足するとのことであるが、本を買い始めたらそんなものではすまないのである。

そのくせ本屋で売れない詩集を貯金をはたいて作り勝手に人に送りつけ合っているのが日本の詩人たちである。それで詩集を読むのが義務みたいになっている。だが、ごくたまに本屋に詩集を買いに行くこともある。高額なわりにあっという間に読み終わってしまう。けれども、高いとは思わない。高いお金を出して好きな詩人の詩集を買い、あわてるな、ゆっくり読むんだ、とページを繰っていく時以上の喜びがこの世にあるとは思えない。待てよ、塩野七生は買わないのに、こっちは買っているという展開になっているではないか。またまた塩野さんに平謝り。それはともかく、行くぞ、アレクサンドロス!




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