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2020年09月20日14:21

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おせいさんの『おくのほそ道』

 昨日9月19日、彼岸の入り(節気:白露、候:玄鳥去)。子規忌(糸瓜忌,獺祭忌)でもあった。
「子規さんは歳とらぬから好き草の花 北上美佐子」との句が、ネンテン先生の昨日のブログに載っていた。コロナ禍で中止になった法隆寺での子規忌法要句会にかえて別途募集された献句作品の中で、掲句をネンテン先生は特選に選んだそうな。なかなか軽やかでステキな句だ、草の花とは糸瓜、鶏頭?秋海棠?或いは杜鵑草?いやまあ、どれでも良いか! “ごてごてと草花植えし小庭かな 子規”

 ひと月ほど前だったか、念典さんのブログに田辺聖子『おくのほそ道』について、「このエッセー集が抜群に面白いです。旅する4人が芭蕉を相対化していると言ったらいいでしょうか」とあって、機会があれば読んでみようと思っていた。先日、五里五里の郷の図書館に出向いた際に検索をかけたら蔵書されていたので、早速にも借り出して読んでいる。前半を読み終えて、面白いなあと感心している。

 松尾芭蕉と言えば、高校の国語の教科書に「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ…」なんて文章が載っていて、「風雅だ」「わびだ」「漂白だ」なんて言葉が先生の口から洩れていて、高校生時代の私奴なんぞは「はあ、よう分からんなァ。敬して遠ざけておくのがよさそう」程度に思っていた。
その後私奴も齢を重ね、少しは人生の機微を分かるようになって芭蕉に関するイメージも随分と膨らんだように思っている。が、なんせあの昔にインプリントされた芭蕉翁のイメージは、未だに私奴の頭の片隅に残っていて、『おくのほそ道』を読んでみるかなんて気にはナカナカなれないのが実情。

 で、おせいさん(古き大阪人なら分るハズ)こと田辺聖子著『おくのほそ道』は、芭蕉の歩いた跡をたどる紀行文なんですが、どういうかな"生きた芭蕉さん”というか"人間味あふれる芭蕉さん”というか"親しみやすい芭蕉さん”を私奴らの前に示してくれている。
(おせいさんの人柄と古典文学への造詣の深さが、みごとに結実しているのだろうな)

 芭蕉は曽良との同行二人だが、おせいさんは編集者・カメラマン・荷物持ちの同行四人で芭蕉の足跡をたどっている。で本書の中で、おせいさん自身やこれら同行者のユーモラスな動向を書いている箇所と、芭蕉の『おくのほそ道』のシャープな文体にアプローチしている箇所とが、妙にないまぜになっていて、私奴ら読者をやすやすと芭蕉の世界に案内してくれているような気がする。

 やっと秋らしくなった昨日今日、この本の後半で読書の秋を楽しむつもり。
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