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2020年08月02日18:46

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心身か身心(しんじん)か、そして養老先生

 今朝の興聖寺僧堂は、どういう訳か蒸し暑かった。何時ものように座っていたのだが、ジットリと汗が纏い付いた感があった。既に梅雨は明け、早朝から抜けるような晴天だ。或いは、私奴の寝不足体調の故の感じだったのかも知れない。
先週の坐禅と講話会「正法眼蔵 現成公案」の折、「身心(しんじん)を挙(こ)して色を見取し、身心を挙して声を聴取するに、…」と読み上げた上で、講師である弊 道紀老師が「身心」という言葉について解説した。

 「道元禅師はね、この身心(しんじん)という言葉を多用する。身心一如、身心不二、身心脱落、…。」「今日の私どもは心身(しんしん)との言葉を使います。こころとからだという意味では、双方はほぼ同じ意味合いですが、「身」を先にしているのは言葉で(頭で、で観念で)分っただけでは本当は分かっていないと云う意味合いがあったのでしょう(只管打坐ということね)」と。
聞いた時には私奴は、「そうか、今と昔で「身」と「心」の字の順序が違っていたか、気が付かなんだ。なるほどねえ」と、ノーテンキな反応を示していた。

 後日、講義の振り返りをしながら、なんとはなしに「心身、身心」とネット検索で遊んでいたら、どこやらのHPに「養老孟司によると、中世ではもっぱら身心という言葉が使われていた」とあった。「エッ!、あの虫大好きな老解剖学者というか『バカの壁』著者として超有名な養老先生が、そんなことを言っているの」とビックリした。
正直なところ養老先生については、TVで、かって解剖学とやらをやっていたが昨今は嬉しそうに虫取り籠と網を持って昆虫採集について熱く語る場面で登場するお人として知っているか、著作としてはご多聞にもれず『バカの壁』以外には読んだことがない程度の知識しかなかった。
で、「そうか、解剖学者やから身体とか心とかにはウルサイのは分かるけど、なんで中世なんや、古い歴史の話なんや」とゴチャゴチャと養老孟司先生を調べていると、なんと、
1990年代後半に(ということは、『バカの壁』で有名になる以前だ)『日本人の身体観の歴史』という著作があることが分かった。どうやら、中世では身心という言葉が云々は、この本に書いてあるらしい。早速、Amazonで古本(よほど売れなかった本らしい、ハードカバーでお値段は二百数十円だった)を取寄せた。

 二日後、本は届いたが「身体観の歴史」は当面の私奴には二の次の話題、まずは中世での身心なる言葉についてが知りたいので、本の導入部の章、仏教における身体思想の章及び中世の身心の章のみを拾い読み(これが予想に反して大変面白く、引き付けられた)。

 導入部の話は、ザックリと要約すると、今日の日本では、「死んだら体は物」「人の死体はモノ扱いされている。解剖学者養老孟司は、「人の死体は断じてモノではない。死体と言えども人の一部なんだ」と主張する。その立場から異論を発している(脳死臨調の少数意見や立花隆の『脳死臨調批判』を取り上げて論じていて、大変刺激的)

 で、中世の身心なる言葉については、道元さんの著作だけでなく、鴨長明や西行を取り上げて、むしろあの時代には、身心という言葉が一般的やったと述べていて、これまた大変刺激的。どうやら身という概念は、今日でいう身体・からだ・ボデイという言葉の概念よりもモット広かったという。で、身心は今日でいう心身ではなく、より広範囲な意味を持った言葉だったと。(それが今日言う心身に変わってきたのは江戸期なんだと養老先生は書いているが、今はそこまで読み込んではいない)

 以上、道元さんの「身心」なる言葉から養老先生の「中世の身心」へと話を進めたが、これ以上を今回の日記に書くことは、内容的にもボリウム的にも不可能なので、取敢えず今回は「コレにてオシマイ」として、後は次回以降としたい。昨日早くも次に備えて、図書館から養老先生の『身体の文学史』も借り出してきた。(キッチリと読みこんだ上で日記に纏めることがどこまで出来るか? あまり自信はないけどwith CORONAで時間だけは、タップリあることだし)


 それにしても、養老孟司先生は「昆虫網を持って走り回り、「バカの壁」やら「唯脳論」なんてチョッピリ視点のユニークでカラクチでいて爽やかな社会批評をなさる御仁やなあと思っていましたが、何のなんの、解剖学に詳しい哲学者なんてイメージが私奴の頭の中に浮かんできました。
「軽くて心優しく知的に面白い先生というイメージの後ろには、別な先生がいるのかも」「人の深淵を想い描かせる、ホントは怖い養老先生なのかも」。

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