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2020年06月01日17:05

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ブログ「モーロク日和」に刺激されて

 このところ毎朝PCを立ち上げると共に、「坪内稔典のモーロク日和」というブログを開けては、ニタリニタリと笑ったり、俳句についての何かしらのお教えを頂戴したりで、楽しませてもらっている。
とりわけ、念典さんは3月半ば以降(ということは、まさに新コロナウイルス禍で日々の無聊を託ち始めた頃)今日までの二か月半は、「芭蕉なんかになりたくない」との刺激的なタイトルで、芭蕉と言えば誰もが思い浮かべるワビやサビの世界ではなく、ヤング芭蕉(往時の俳号は宗房)の興じた言葉遊びの世界を、芭蕉(宗房です)の処女句集『貝おほひ』を取り上げて軽妙に語ってくれました。

 その「坪内稔典のモーロク日和」の今日のブログを覗くと、今日からはタイトル「芭蕉なんかになりたくない」を取り下げて、「桃青の日々(1)」に変更とありました。
念典さん曰く、「芭蕉のようにはなりたくない、ワビやサビはごめんだ、という気持ちに変わりはないのですが、これからしばらく考えようと思うのは、芭蕉という俳人が世の中に登場する過程です」と。
どうやら念典さんは、伊賀上野の宗房が江戸に下り桃青との俳号で俳句活動を展開し芭蕉の名になるのまでを語ってみようとお考えのようであり、大変この先の話が待たれる思いがしています。

 「府県境を跨る外出は自粛すべし」とのお上の御意向を知りながらも、5月29日に滋賀大津・石山にある幻住庵を訪ねたのは、上記のような稔典さんのブログに刺激されたからなのでした。実はさらにあの日の午後には大津膳所にある義仲寺の芭蕉のお墓にも詣でてきました。
(実はさる友人から「お前は府県境を跨るなんてなんという事をする、ケシカラン!」とお叱りを受けました。29日のあの行動を「つぶやき欄」にこれみよがしに呟いてみせたのは、お上の御意向なんて「知ったことか」と反発したからでは、決してありません。ただ、ただ何かにつけてお上の御意向とやらを杓子定規に受取るのも如何なものかと、モーロク爺は思っただけのものだったのです)

なお、余談ですが、境内の一番奥に保田与重郎墓があるのを発見しビックリ仰天しました。私奴は天誅組友林光平著『南山踏雲録』を扱った与重郎氏を知るのみですが、戦後の公職追放と戦後の論壇から無視され続けた中で、寂れつつあった義仲寺を何かと支援した縁で境内に墓が設けられたと伺いました。予期せず、木曽義仲・松尾芭蕉・保田与重郎に思をはせた一日でした。

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