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2020年04月15日18:39

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書を捨てて野に出よう!

 この一週間は、まさに「書を捨てて野に出よう」だった。雨が降った日・月曜日以外は、アチラコチラと歩き回り(徘徊し?)、スマホの歩数計アプリは連日1.7〜2.3万歩を記録していた。「タップリと時間はあるから読んでみるか」と、持ち出している書物にはイッサイ手を付けずに、早朝散歩に加えて、朝食後も早々に家を飛び出し、人気(ヒトケ)の少ない道を選んでは「アチラをキョロリ、コチラをキョロリ」。

 「書を捨てよ、野に出よう」はたしか寺山修司の科白だったなと思っていたが、改めて調べてみると少し違っていて、「書を捨てよ、町に出よう」が正解だった。
がまあ、現下の時節柄「町に出よう」はきわめてマズイ(年寄りなんざがヒマにまかせて町中に出ようもんなら、白い目で見られること間違いない)。
でまあ、人気(ヒトケ)の少ない住宅街をぬけ畑や野原を選び、川や池をめぐり、広い公園やら社寺の境内をほっつき歩く。

 北東方向では宇治川党の島や平等院、南西方向では木津川の広々した河川敷、南東方向では鴻巣山展望台&公園とその昔の面影を残す宿場街道筋。最後の北西方向は、近鉄大久保駅周辺の商店街があり近辺で一番人口密度が高いので忌避。

 宇治の平等院は、ウイルス禍で堂内立入は出来なかったが、境内は無料で公開していてた。お陰で、常々は木立の隙間から仰ぐだけだった鳳凰堂を池の前から堪能できた。
その昔の面影を残す宿場(平安・平城両都を結ぶ街道沿いの長池という名の宿場でその昔は結構人の往来があったらしい)近くのお寺に江戸期に寺田芋をこの地にもたらした人の墓があった。
寺田芋は木津川の河畔砂地を利用して栽培された薩摩芋で京都ではチョット知られた名産品)で、上部が芋の形をした墓には「琉球芋宗匠 島利兵衛」とあった。利兵衛さんは島流しから帰京する時にコッソリと芋苗を隠し持って帰ってきたとか、一説によると青木昆陽よりも早く薩摩芋をもたらしたという。

 さて、そろそろ書を紐解く生活も始めようか。
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