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2020年01月27日07:08

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蔵身という言葉

 先週末の興聖寺での法話の中で、老師が「時に確定申告の時節ですが、無所得って言葉を聞いたことがおありですか?」と言った。「ああ、申告ったって所詮が年金生活の身、雑なる所得がチョッピリと…」なんてのが頭を横切ったが、無論、税務署の話ではない。
般若心経の一節「以無所得故 菩提薩埵…」の無所得。「即ちそれは、なにものにも拘らず・とらわれず、一切を求めないこと。般若波羅蜜の実践的な働きを言います」と老師は言葉を加えた。

 無所得の反対が有所得で、なにものかに心がとらわれ常になにものかを求めていることと老師は続ける。「私にとっての願望・私の望み・私の理想・私の欲求、私の…と私達は悩んでいる」と。そこには、常に自我を中心にすえて考えている状態があると。

 「でね、」と、老師はここで話を一変させる。「例えば、「私が皆さんに語る」といった時の「私」という言葉を考えてみましょう。この「私」には「皆さん」が含まれている。聴き手である皆さんなしで、語っている「私」なんて無意味でしょ。反対に、聴き手の「皆さん」という言葉には話し手の「私」が含まれている」と。
「即ち、私には皆さんが含まれているし、皆さんには私が含まれている。相互に互いに含んでいる・含まれている。このような事態に、道元さんは「蔵身(ぞうしん)」という言葉を使いました。
自己と他己。自己といった場合には必ず他己が含まれているし、他己には必ず自己が含まれている。それは決して切り離して考えてはならぬことなのです(蔵身ということ)。「蔵身」は正法眼蔵では、道元さんの哲学では大変に重要な言葉で、随所で度々出てくる言葉なのです」と老師は、話を締めくくった。

 この道元さん独特の「蔵身」という言葉に関連して老師は、華厳経に説かれるインドラの網の話にも少しく触れられた。、インドラ(帝釈天)の宮殿にかかる網の話で、網の結び目にそれぞれに宝珠がついていて、その一つひとつが他の一切の宝珠を映し出すという。
(「宇宙の中に一粒がありその一粒の中に全宇宙が有り、その全宇宙の中の一粒一粒に全宇宙が有り、そしてまたその宇宙に…」。なんというか、あの目くるめくマンデルブロ集合の世界というか)

 華厳の教えに曰く、理事無礙法界(りじむげほっかい 実体がなく空であるという理と具体的なものごとが妨げあわずに共存している)から事事無礙法界(じじむげほっかい 一切の物が空であるという理が姿を消し、一切の物事が妨げあわずに共存する)へ。
(ああ、目がグルグルとまわる)
マンデルブロ集合のとある「一つの映像を掲げておきましょう。


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