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2019年10月16日18:49

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荒凡夫一茶から大愚良寛へ

 このところ北信濃の小林一茶から越後の良寛さんに読書対象を移しつつある。その中で、二人が北信濃と越後というお隣どうしの地方に生まれ、かつ、まったくの同時代人(一茶1763~1828:良寛1758~1831)で、しかもそれぞれはその生涯の晩年を故郷で過ごした(15年間ほどは隣接して住んでいた)ことに思をはせていた。

 「ヒョットすると互いの存在を知っていた?」なんて妄想を抱きながらPCと遊んでいたら、国会図書館レファレンス協同データベースに、『一茶と良寛と芭蕉』の中の一篇「野人一茶の悟」で著者の相馬御風が色々と論じてることがまとめられていた。その概要は、「二人には見かけ上、実によく似た句がある。元々は一茶が詠んだ句がひろく人口に膾炙した結果、良寛の耳に入り良寛が口遊む内に少しばかり改良した一句をものにした。句としては、やはり一茶は一茶、良寛は良寛だとうなづかれる」ということになる。
(相馬御風は糸魚川出身の詩人で、あの「都の西北早稲田の森に…」や「カチューシャかわいわかれのつらさ…」の作詞者、晩年は古郷に身を置き良寛研究に没頭した人物)

 よく似た二句とは、
  焚くほどは風がくれたる落葉かな  一茶
  焚くほどは風がもて来る落葉かな  良寛

 相馬御風曰く、「(これらの二句は)全然同一句として見ることは出來ない。「くれたる」が良寛によつて幾度となく口ずさまれてゐるうちに、いつしか「もて來る」と變つてしまつたのだとして考へると、その轉化にはかなり深い意味がある」と。
深く味つて見ると、と御風は続ける、「「くれたる」にはなほ自己を主にした自然へのはからひがある。彼の眼に映じた自然はなほ相對的である。しかし「もて來る」には自然が擴充してゐる。主我的なはからひがない。自然は自然である。その恩惠にあづかるのはこちらからである。それに感謝するのもこちらの心からである。そんな風に見て來ると、やはり、一茶は一茶、良寛は良寛だとうな づかれる。」と。

 この「「くれたる」にはなほ自己を主にした自然へのはからひがあり」と、「「もて來る」には自然が擴充してゐる。主我的なはからひがない。自然は自然である。その恩惠にあづかるのはこちらからである。」との違いというのは、なかなか難しい。
私奴の勝手な感想では、主我的なはからいの有無とは要するに、その言葉を選んだこころの中に我(自分自身)が潜んでいるか、潜んでいないかの違いではないかと(おのずから我有を前提としてから「くれたる」を選び、無我の境地にあるから「もて來る」を選ぶ)。
まことに、煩悩まみれの荒凡夫一茶と半俗半僧といえど修行の僧たる良寛との違いを浮き彫りにした一件といえるか。

PS:相馬御風は「野人一茶の悟」の末尾で、「一茶の藝術的表現が、自由であり、無造作でありながら、浮薄の氣のないのには、彼の天眞、——野人そのまゝの彼の天眞が與つて力あつた」と記している。一方で良寛さんは漢詩の中で自らを、「生涯懶立身 (生涯、立身出世にものぐさであり) 騰々任天真(うとうととして、あるがままの天真に任す)」と書いている。
両者は同じく「天真」ではあったが、その天真さに違いがあったという事になるか?

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