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mixiユーザー(id:10383654)

2019年09月25日12:10

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唯識って?(その4)

 明日から後期の受業が始まる、このタイトルの雑文も大急ぎで片付けねばなりません。で今回はあたふた気味に、法相宗(唯識)が得意とする三性・三無性の説という教義のお話。
三性・三無性の説というのはこの世界に生じては消える「現象」の3つの側面からの説明のことで、三性とは、(弖彌蠎浩(へんげしょしゅうしょう)依他起性(えたきしょう)1濱実性(えんじょうじつしょう)のこと。

 それぞれを間違いを恐れずごく簡単に説明すると(難し気な用語でウンザリですが)、
 (弖彌蠎浩:遍(あまね)く計らう(分別する)ことによって考え出したもの(
  我々の主観によってつくられた世界)への執着する在り方。全ての諸法が実有であ
  ると執着。端的にいうと妄想。
  (要するに、「分別する」とは「妄想する」こと。分別=妄想)
 依他起性:他に依存して生起する在り方。全てのものは何か別のものに依存して
  ある。(お釈迦さんのいう)縁起という在り方。
諸物は仮の姿で存在している、仮有。
 1濱実性:悟りによって得られる円満・成就・真実なる在り方。真如そのものを
  指す。

 そしてまた、この三性それぞれは無自性(空)でもあるとする。即ち、
 1)相無性:遍計所執なるものは妄想にすぎず、実存しない特性(相)であるから相無性
 2)生無性:依他起なるものは独立的に生じたものでないから生無性
 3)勝義無性:円成実なるものは無自性そのものであるから勝義無性

 以上の三性・三無性の説に基づいて三時教判をもう一度述べてみると、

 第一時(初時)では我があるとする外道の見解を打破し無我を強調するために遍計が空であることを隠してただ依他の有を説き、第二時では依他の有を隠し遍計の空だけを説いたため、中道の真理を十分にあらわしていない(いずれも教えが未了のまま)。教えが未了であるから、有を聞く者は空を理解せず、空を聞く者は有を理解せず。たがいに一方的に有だけを空だけを真理とみるために諍論(じょうろん:論争)が起こるのだ。

 しかるに第三時の中には、明らかに三性・三無性を説いている。遍計所執性の立場から有ではなく(=空)、依他起性の立場無ではなく(=有)、非空非有の中道の妙理が明らかにされ、有と無の偏った二辺を離れて、直ちに正しい路に入る教えである。
(このため釈迦一代の教えの中でももっとも深いかつもっとも微妙な教えだと
 三時教判はいう)

 とまあ、ザットこんな感じなんだけど、書いている当人がイマイチ十分に理解できておらず消化不足の故か、相変わらず生煮えな文章ですな。乞う、ご容赦。

 まあ、一般的には、「妄想」というのは根拠のない主観的な想像や信念をいうのですが、唯識では私奴らがマジに考えることそのものが妄想だというのだから、理解するのが難しいですな。

写真は、『八宗綱要』の法相宗の章に掲げられていた三時の教判を図示したもの。


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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年09月25日 20:12
    小生にはとても手に負えません。否定の上に成り立つ仏教哲学はより理解し難くなっていると感じています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年09月26日 18:03
    ううう・・・ん。時間的に発展してきたのか、同じ平面において議論した人はいないのか、など思ってしまいますね。密教にいたる過程の後付けなんて妄想したりしてしまいます。次回期待です。

mixiユーザー

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