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mixiユーザー(id:10383654)

2019年09月21日07:26

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唯識って?(その3)

 荒っぽい旅(500劼6時間でつっ走るなんて年寄のすることではない、反省!)を終え、このところ良寛さんや小林一茶にチョッピリ憑かれている(家に帰ってから読んでみようなんて、ドロナワもいいところ!)
強く仏道を求めながらも、子供と手まりで遊んだり和歌・漢詩を詠んだりの良寛さんの非俗非僧としての生き方が面白いし、読んでいる本(金子兜太『小林一茶』)に影響され過ぎかも知れんが、小林一茶という俳人のなんとも人間臭い生き方も面白い。

 とは言え、旅行前に書き始めた「唯識って?」の続きがバッチリと残っている。良寛・一茶についてはいずれ書くこともあろうから、まずは「唯識って?(その3)」を。

 9月4日の日記「唯識って?(その2)」では、唯識に関する総括的なお話として三時教判(悟りに至ったに釈迦は、最初の段階で「有」を説き、次の段階で「空」を説き、最後の段階で「非空非有の中道」を説いた、との考え)について述べた。今日は唯識の詳細内容に立ち入る前に、三時教判という考えの理解を今少し深めるために、蛇足になるかも知れないが、もう一回だけ総括的なお話を続けよう。

 仏教全体の流れをごく雑駁な概念分けとごく大雑把な時代区分で示すと、1)原始仏教、2)部派仏教、3)初期大乗仏教、4)中期大乗仏教、5)後期大乗仏教に分けられる。大きく、1)2)は小乗仏教と3)4)5)は大乗仏教とするのが一般的。どの仏教であれ、「苦しみからの解放(輪廻からの解放)」が目的であることは共通している。

1)の原始仏教(BC5~4世紀):お釈迦さん入滅後100年位までの原初的な時代で考えの
  分裂もない。

2)の部派仏教(BC3世紀〜):20ぐらいのセクトに分かれた時代(≒小乗仏教)。修行で
 阿羅漢まで(仏にはなれぬ)と。最有力派は上座部系の説一切有部。我空法有。

3)の初期大乗仏教(BC1~AD3世紀頃):般若経典で般若(智慧)を説く、即ち空の思想
 を説く。修行で仏になれると。浄土経典や『法華経』『華厳経』など基礎的な大乗経
 典も。

4)の中期大乗仏教(AD4~5世紀頃):『解深密経』など唯識系経典。『勝鬘経』『涅槃
 経』など如来蔵・仏性系経典。

5)後期大乗仏教:主として密教経典。(大乗の中は密教と顕教。顕教に般若系とか唯識
 系が含まれる)

 上記の仏教の流れと三時教判とを対応させてみると、法相宗(唯識)の教相判釈の組み立てがクリアに見えてくる。即ち、釈迦の最初期の説法には部派仏教の説(有の説)を持って来、その次の時期の説法には初期大乗仏教の説(空の説)を持って来、最後期の説法には中期大乗仏教の説(非有非空の中道、要するに自分自身の説)を持って来た、ということ。

 なお、前回も今回もハッキリと明示的に書かなかったが、仏教信者は「数ある多くの経典はすべてお釈迦さんがお説きになったもの」としているので、教相判釈では「お釈迦さんの生涯のどの時期にどのような内容の教えが説かれたか」が主張されている。
(従って、鎌倉期東大寺の学僧である凝然さんが同様に考えて八宗の教義の要約を纏めていることは言うまでもない)

 とは言え、文献学が進んだ今日では(科学思考の進んだ今日では)、「お釈迦さんが全ての内容を説いた」なんてことは俄かには信じられないことで、長いながい年月と幾多の人々の努力によって数多くの経典が生まれたと考えるのが常識です。

だがしかし、文献学だの仏教学を持ち出して凝然さんや宗教者の皆さんに、「それは間違いですよ」というのは、ディズニーランドに行って「あのミッキーはね、ネズミではなく中に人間が入っている縫いぐるみよ」と言うのと同様で、無粋な話ということになるでしょう。

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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年09月22日 12:08
    山ボケですが、だんだん核心に。期待してます

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