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2019年09月01日23:51

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唯識って?(その1)

 中大兄・鎌足による蘇我入鹿暗殺を皮切りに日本で大化の改新が始まった年(西暦645年)、中国で一人の僧が膨大な経典や仏像と共にインド留学から帰国した。三蔵法師玄奘である。固い話は兎も角、苦節16年広大な西域経由でのインド留学への旅の話は、ご存知孫悟空が活躍する『西遊記』として、大抵の人の良く承知するところだろう。

 このとき、玄奘三蔵が持ち帰った最大のものが、これからゴチャラゴチャラと書き進める唯識の考え方(思想)でした。
今日の我らはとかく、「なに、唯識? 空だの阿頼耶識だのとエライまた難しくてサッパリ分からんヤツ!」と身構えるか逃げ出したくなるのですが、「なんや!如意棒を振りまわし妖怪どもと奮戦した孫悟空のお師匠さんが大事になさってインドから持ち帰ったお教えでっか」とでも受け取って貰えば、なんとなく親しみが湧いてきて、チョッピリ齧ってみるかという気になるのでは、と偶考する次第。

 また、以下のような話からも、唯識という考え方は疎まれること無く、今少し人々の間で親しまれ読みこなされても良いように思う。

 京都太秦広隆寺や奈良斑鳩中宮寺におられる半跏思惟のお姿の弥勒菩薩さんを知らない日本人はいないといって過言ではなかろう(あの左の足を垂れ右の足を膝の上に置き、右手を曲げてその指先きをほのかに頬に触れんばかりにして物思いにふけっておられる優美なお姿)。
実は伝承によれば、唯識という考え方は、私奴ら日本人がこよなく愛する弥勒菩薩(マイトレーヤ)さんによって思索されのです(アサンガ(無著)というガンダーラの学僧が兜率天まで出向いて、教えを受けたんだとか)。
広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩さんがあの優美なお姿で思惟されているのが、ほかならぬ唯識の考え方だなんて、なんとも野次馬精神の刺激されること!

 史実的には、アサンガ(無著)とヴァスバンドゥ(世親)との名のインドの兄弟学僧によって唯識という考え方(思想)は深められ大乗仏教の基礎学的な位置を確立したと言える(二人共最初はアビダルマ仏教(小乗仏教)を学んだが、まずは兄の無著がマイトレーヤのお陰か大乗仏教徒に変わり、兄の影響で弟の世親も唯識の勉学に取り組み大乗仏教徒となった。言うまでもなく、この弟世親は『倶舎論』の著者でもある)。
玄奘三蔵がインドに留学し中国に唯識を持ち帰ったのは、この二人の学僧が活躍した200〜300年後のことであった。

 日本への伝来は、653年遣唐使の一員として道昭(どうしょう)が入唐、玄奘三蔵に師事し660年多くの経典と共に帰国(なんと、玄奘三蔵が新しく漢訳した、出来立てホヤホヤ直後のものが日本にたどり着いていたのだ)。以来、南都六宗の一つとして8-9世紀に隆盛を極めた。今日でも、興福寺、薬師寺、法隆寺などが法相宗として現存する。
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