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2018年11月04日06:55

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文化の日

 昨日は文化の日、各界の文化に功多き人達の受賞ニュースが流れていた。で、私奴もチョッピリ文化の香りの端くれでも頂こうかとゴソゴソ。一昨日は柿衛文庫の「芭蕉の手紙」展に足を運び、昨日は井手町文化祭を覗きに行った。

 柿衛文庫(かきもりぶんこ)は伊丹の「みやのまえ文化の郷」の一角にある俳諧コレクションを所蔵・展示する博物館。女房殿を引き連れて(引き連れられてが正解?)、「芭蕉の手紙」展へ。館の名は、伊丹の酒蔵家の生まれで前の伊丹市長、鳥類研究家でもありなにより俳諧文学の研究家であった岡田利兵衞さんの俳号「柿衞」にちなむ。館の中庭に柿の木があり、その柿が旨いらしい(かって、あの頼山陽も食したとか)。

 芭蕉は多くの手紙を残したらしく、私奴の敬愛する俳人・坪内稔典さん(同文庫理事長)のご挨拶文に、「芭蕉以前に、芭蕉ほどたくさんの手紙が残っている人を知りません。しかも、芭蕉の手紙は、それを読むことが文学的体験に近い感動をもたらします。挨拶に始まって、さまざまな用事が書かれています。表現上の議論もあれば、借金の依頼もあります。つまり、手紙の中に一人の生身の人間が活動しているのです。言い換えたら、芭蕉の手紙は彼の創作の現場を生々しく伝えています。だから刺激的で面白いのです。近代の夏目漱石や正岡子規の手紙に似ている、と言ってもよいでしょう」とあった。

 芭蕉直筆の手紙や句短冊・懐紙の文字はどれもこれも、上掲写真に見られるごとくマッタク私奴には読めない、唯々筆の走りや文字の躍りぐあいを眺めるばかり。食い入るように解説文を覗き込んで読む以外に手はない(老眼かけては解説文を、はずしては直筆を見つめるの繰り返し。難儀ですなあ、年を取るってのは)。
お陰で、そんなに広くもない展示場に3時間も滞在、いささかくたびれてしまった。もっと私奴に芭蕉の諸々のことに関するの知識があったら、より楽しくもあったろうと少し悔しい気もした。

 今回の展示には、「古池や…」の句短冊や風雅三等之文などと共に、ごく最近(今年)見つかった近江の女流俳人・智月宛ての手紙もあり芭蕉の人間味をそこはかとなく感じさせられるものだった。雑誌「俳句」に載った堀信夫・宇多喜代子さんの対談によれば、智月さん宛て手紙には「ことのほかあつく御ざ候。そこもと何事もなく候や。われらぢのいたみもやハらぎ候まま、御きづかひなされまじく候」なんてのもあるとか。
宇多さんは「痛かったんだ(笑)。芭蕉の高邁な精神の「三等の文」より、こういう手紙のほうが人間が出て来ます。芭蕉さんはむつかしい人ではなく、痔の悪いおじいちゃんだったんだと思うほうが親しみが持てる(笑)」と。

 まっ、疲れたけど楽しくもあった半日だった。帰路、マクドでコーヒーとバーガーで元気を取り戻し車を走らせた。


 昨日は、井手町の文化祭。我が陶芸工房も出展、皆がご自慢の一品を飾った中、私奴も縄文土器模造品を二品だした。午後の遅い目に顔を出すと、閑散としていたが、訊くと午前中は大いに賑わったそうで、来場者へのお遊びコーナー粗品として皆で造った大量の一輪挿しは早々と在庫の底をついたとか。仲間とお互いの作品の批評(ケチと自画自賛の応酬)を交わした。「オレのはなあ、5000年前の芸術を模したもの、文化の香りが高さで一番やな!」と。

 さて、今日は興聖寺で坐る日だ。道元さんの文章はサッパリ分からんが、只管打座!
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