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2017年02月28日11:22

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若き日の津島佑子さん、一夕の思い出

津島佑子さんが亡くなられて1年が経った。
あれだけ実力のある方が…と惜しく、残念でならない。

私は親しかったこともないし、仕事で深く関係したわけでもない。
でも若い頃の津島さんの姿を他人が書きとめたものは
あまりないように思うし、記しておかないと消えてしまうと思い、
印象深かった若い日の出会いを思い出してみる。

ずいぶん前のことなので、記憶違いもあるかもしれないと思うが、
たった一夜だけれど、さわやかな容姿と共に、幸せそうな姿を思い出す。

津島佑子(里子)さんとお会いしたのは、
津島さんが短い間だったが勤めていらした同じ職場に、
私の知人がいて、彼が津島さんの新居に招かれたからだった。

「職場で一緒だった面白い女性がいて、結婚したばかりで
家に誘われているのだけど、会わない?」と誘ってくれた。

知人は男1人では、新婚家庭に行き難かったのだろう。
ワインと食物やお菓子を持参して、彼とその部屋に伺った。

彼から、太宰治の次女にあたると伺ってはいたが、
日頃、「1歳の時だったから、何も知らない」と
話しておられると聞いたので、その話は一切触れなかった。

小さいアパートに津島さんと結婚相手のYさんと、
食事をご馳走になりながら4人でいろいろ話をした。
津島さんと私は同じ年だからか、気さくに話されていた。

夫のYさんは劇団の台本作家で、津島さんの作品を読んで、
それを劇にしたいと願って会ったのが、馴れ初めだったと伺った。

会った時、彼は1週間後の劇団公演のチケットを贈ったらしい。
そしてそこで再び出会った時に「アパートを探している」と彼は話したそうだ。

「一緒に見に行きましょう」となって、この部屋についてYさんが
「いいけど広過ぎる」といったら「一緒に住むにはちょうどいいでしょう」と
津島さんがサラッと言い、結婚することになったという話だった。

結婚までというか、同居まで僅か3週間だったとか。
あっけらかんと話す津島さんにびっくりしたことを覚えている。
その後の作品を読めば、お母様との複雑な思いなどもあって、
この機会に家を出たかったのかしら?と思わなくもない。

そして私に「どうして編集なんかしているの? 書く方が面白いわよ」と。
横道に逸れるが、私はその後、本にしたいと送られてきた原稿を読む仕事や、
お願いした作家の連載小説の校正や、短歌や俳句の文芸関係も担当した。

プロの作品は本当にすごいと思い、自分でちょっと書いてみて、
自分にはとてもそんな能力がないと、つくづく思い知った。
書いたものがお話にならない駄作だという判断力だけはついていた。

新居訪問のあとしばらくして、突然、津島さんから電話があった。
「あなたの名前を使わせてもらったわ。ちょっと変な主人公だけど」と。
その文芸誌が送られて来たら、確かに、頭が変になって、
バゲットを庭に埋める主婦の名前になっていた記憶がある。
この短編は、その後どこかに入っているのだろうか?

そのあと、クリストフ・エッシェンバッハのピアノコンサート会場で
ばったりお会いした。私はその頃お腹が大きかったのだが、
津島さんも「娘がいるのよ〜」と、柔らかに微笑んで話され、
とても幸せそうだった。それが香以(石原燃)さん。
その後がどうあれ、香以さんは望まれ、幸せの中で生まれたと思う。

津島さんが離婚されたことを知り、その辺りを短編小説集『光の領分』で読んだ。
読むたびに当時の元・夫さんのことが思い出され、複雑な気持ちになった。
自らの傷口を抉るような、作家という職業の凄みを感じずにはいられなかった。

9歳の息子さんを事故ともいえる病死で亡くしたと人づてに伺った。
入浴中にぜんそくの発作が襲ったということらしかった。
哀切極まりない『夜の光に追われて』を、私は涙を流しながら読んだ。

連載小説は書いては頂けなかった。しかし、メッセージや、
座談会などには、お願いすると快く受けてくださった。

その後の津島さんとはたまに上記のようなお願いをする程度で
深くお付き合いしたわけでは全くない。

香以さんが劇作家になられたと聞いて、父親の血かとふと思いもしたが、
ペンネームが石原で、お母様方の曽祖父石原初太郎の名前から?と気付き、
仕事繋がりの父親との決別なのか…と思ったりもしている(この辺は全くの推測)

その後の展開がどうであれ、わずか一夜、また偶然の出会いだが、
結婚された時代の、幸せそうだった津島さんの姿は今も目に浮かぶ。
男女の関係は難しい。殊に女性がそれなりの立場を得ていくとき、
自分がもう1つ思うようにいかない立場の夫は辛いのかもしれない…。

津島さんは、お父様の名を自ら喧伝することは一切なく、
ご自身の実力で(遺伝はともあれ)素晴らしい作品を次々に世に送られた。
社会的な問題も恐れることなく取り込まれ作品に昇華され、発言もされた。
石原燃さんは劇作家として活躍され、津島さんの才能は受け継がれている。

昨年2月18日に亡くなられたことは、惜しくてならない。
もう、1年が過ぎたのだな…と思う。
ご冥福を祈りつつささやかな思い出を書き記してみた。

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