これらは、小生の「生きる上での核心」なので
ちょっと、詳細しておこうかな、と・・・。
↓
日記へのレス
>貴殿の根っこは「クリエーター」だからな。
>それがどういう因果か社会人・・・みたいな事
>やらざるを得ない、
>どういう運命か知らんが家庭を持ってしまった、と(笑)。
>貴殿も小生も「根無し草の無産者」が性根だからね。
このレスは、貴殿にも「刺さった」のでは(笑)
ある意味「イヤなところ言ってくれるよな」と(笑)
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<ナニモノでもない>
小生は、
・何ら世間様の役に立たない己の非力
・それを、よ〜く自覚して「無産者」を自称する
勿論、
・世間様の役に立ちたい!とは思うし、
・(小さい事ばかりだが)ソレが実現できた時は
やはり嬉しいし、やりがい、も感じる。
・仕事の意義は「世間様の役に立つ、それのみ」
と思っている。
しかし「ホンモノの無産者」でもない。
(ホンモノの無産者の代表例は路上生活者)
〜ココから、ややこしく、というか面倒くさくなる(笑)〜
そして!
これら同時に「己はクリエーターが本懐だ」とも
思っている。
小生が申す「クリエイト=創造」とは、
・芸術/文筆などで糧を得る、というレベルでなく
・「人生、それ自体がアートである」というレベル
のクリエイト
を意図している。
だから、
己の中に「無産者」と「クリエーター」が常に共存
している事になる。
更に!
詳細/正確に言うなら「ベースはクリエーター」だ。
・ベースはクリエーター
・己のクリエイト=創造は、実は常に履行している
・しかし、ソレでは食えないので働いている
「クリエイト」
という行為は「生きる事」と同議で「生活の糧・云々」
とは基本的に関係ない。
(そういう意味で、路上生活者も表面的には「無産者」
と呼称してもイイが、同時に「クリエーターである」
も、まったくあり得る)
かつ、
「創造しない日々=何も生まない日々」
も、とっても重要で、たとえ小生がクリエーターとして
生活の糧を得る状況にあったとしても、その毎日で今度は
「クリエータ」として「無産者を夢想する苦悩が続く」
のであろう点も理解している。
(十数年前に「無産者とクリエーターの本質」は瞑想済み)
小生は
「クリエーターとして生きる事もできず」
「無産者をつらぬく事もできない」
比喩や方便ではなく、事実/現実として。
そういう、
★ナニモノにもならない(なる事ができない)生涯★
なのである。
・身もココロも自由なままに生きる、そして逝く、
・「それをする事=行為」がすべてであり、
・目的が無いので故にゴールも無い
のである。
小生は、
「何か目標を定める」その瞬間、そういう人生がイヤに
なってしまう。
仮に、
目標を定めたとして、達成された瞬間、その人生が
イヤになってしまう。
小生は、
「生きる上での、ある質/ある真実」について、
表現を変え、角度を変え、ずっと同じ事を言っている。
他人様に理解を求めたりしない。
ソレらを自覚して生きている者は、ほとんど居ない。
別に、ソレらが正解でも無いのでかまわんが・・・。
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