瀧内公美に今年の主演女優賞あげようよ。
どうしても観たくて新宿から日比谷に移動。今日は忙しいぞ。TOHOシネマズシャンテでもやるようになった。それにしてもユーロスペースと2館。22日からはkino cinemasにもかかるが、それにしても3館。
シャンテで一番小さい190席のスクリーン3、当然のように満席です。
いやもうね、劇場の緊迫具合がとんでもない。ペットボトルのキャップ開けるのでさえ、そーっとという感じ。初日にユーロスペースで見た時はそうでもなかったんだけど。
この日2回目を観るまでにわかったことみっつ(最初のふたつは町山智浩さんが言ってたこと)。
ひとつは音楽を使ってない。いっさいまったく使ってません。エンドロールも無言で、いや無音で流れる。
もうひとつはすべてのシーンに由宇子がいること。言い換えれば全部が由宇子の視点に立っているということ(これと同じ手法の映画が「この世界の片隅に」。あれも(ごく一部を除き)すべてのシーンにすずさんが出ている、すずさんの主観映画。奇しくもプロデューサーの1人は片渕監督だ)。
この映画がドキュメンタリー・タッチを思わせるいちばんの要因がこれだろう。
最後のひとつはラスト・シーンで由宇子のとった行動である。最初観た時は何をやってるかわからなかった。今回もよくわからなかった。が、重要な意味を持つ行動でしょう。
やはりリピートはするもんだと思った。隅々までじっくり観られた。
ストーリ構成がとても巧み。
由宇子は正義を求める人間として描かれる。図式的と言っていいほど明確に描かれる。
ところが早々にこの正義が揺らぐ。それも一番身近な存在の行為によって。正義を求めるならば告発すべきがそうはしない。できない。そのかわりiPhoneの画面の中に真実を写そうとする。
ところがこの真実になかなか届くことができない。
正義と同時に事実を切望するのだが、皮肉なことにかえって真実から遠ざかる。
こういったストーリーの軸が、後半から終盤に向けて加速度的に流れ込んで行く展開は由宇子だけでなく観るものをも翻弄する。
で、この映画を支える大きな要素が登場人物たちの表情であると思う。
ごく一部(一瞬の萌の父親など)をのぞき、誰ひとり感情をあらわにしない。泣くシーンは3回ほどあるが、誰も泣き叫ばない。当然その涙をこちらに強いてくることなど皆無である。
喜怒哀楽の表情がこちらの予想をはるかに下回るのですね。
最も顕著で、この映画の象徴とも言えるのが主人公由宇子のそれ。喜怒哀楽に加え、驚きの表情すらこちらの予想をはるかに裏切る。当然ここは驚くだろうというストーリーの流れでも、驚いてはいるのだろうが「びっくり」はしない。
それでいて無表情かというと、決してそんなことはない。ほんの数ミリ、表情が動くのである。この数ミリが実に多弁である。別の言い方をすると、こちらに想像を要求してくる。
これに関しては受けてたった瀧内公美もすごいが、受けて立たせた監督の功績だろう。パチパチパチパチ。
正直言うと、もう少し気楽なエンタテインメントも観たい(笑)。
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