ケビン・スペイシーとラッセル・クロウとジーン・ハックマンは似ている。
なんか午前10時の映画祭、癖になってきちゃったなあ。土曜日16日TOHOシネマズ新宿で。スクリーン1は86席と小規模なんだけど、それにしても20人くらいかな。すいてるなー、という感じ。
前にビデオで観たことがあります。うん、かなりびっくりしたよ。しかし2021年の今となってはなあ、色々この映画に不利な状況になっちゃったわね。
この映画のオチについてはもはや歴史上の事実であり、中学校の教科書にも載ってるくらいだから、ネタバレとかとんちんかんなことを言わず、ガンガン行く。
それでも「まだ観てないんだよなー、びっくりしたいなー」という方は、この先読まずに早起きして映画館に行くが吉。
つまり何がこの映画にとって不利な現在になってるかというと、俳優の知名度というかビッグさが災いしてるわけです。当時ケビン・スペイシーはそんなにビッグネームではなかったんでしょう、タイトル・クレジットにキャストが出るんですが、4番目だか5番目という地味な位置。もちろん「Starring」でも「And」でもありません。
それが現時点で出てる役者を見渡せば、ケビン・スペイシーしか知ってる人がいないんだもん。どうしたってこいつが犯人(仮称)ですよね?
隠そうとしてもわかっちゃうわけだ。
私もオチは知ってるので、それを知ってて果たして楽しめるのか、どういう観かたをすることになるだろうか、という興味で観ました。
オチは知ってても、ずいぶん忘れてるもんだね。最後に「ええー、みんなウソだったの?」の細かいとこですね、証言のウソがほとんどその場で考えたものだった、というところにうなりました。「KOBAYASHI」がマグカップの底に書かれたメーカー名だとかさ。
観ながら「え?この時こいつはそこにいたの? じゃあこの人殺せないじゃん」などと軽くだまされたけど(だから忘れてるんだって)、つまりはこの映像がすべて犯人の証言によるものだってことが重要ですよね。ほんとにあったことじゃなく、ウソの出来事でもかまわないんだ、犯人が言ってることだから。ところがこっちは映画に写ってるのはほんとにあったことだと思い込んでるからだまされる。
ちょっとズレますが、この「誰が語っているのか」ということは特に映画では忘れがちなんだけど、案外重要。「決闘裁判」では、この映画と違って、それぞれは意識して嘘をついてるのではなく、しかしながら主観の違いによって再現される出来事に違いが生じる、という現象が起きていました(現象という言葉が適当かどうかわからないけど)。
さらに拡大すれば、写ってるシーンが、実際にあったことなのか、そう見えていただけなのか、はたまた意識的についた嘘のドラマが写ってるのかわからない、という好例がある。はい、「先生、私の隣に座っていただけませんか?」ですよ。
驚いたね、どうも。「先生、私の隣に……」が「ユージュアル・サスペクツ」の発展系だったとは!
全体に地味で淡々とした犯罪映画なので、オチ以外はどうもなあと思って観たのですが、意外な収穫があったということか。
#さらに小説まで話を持っていくと、人称問題とか叙述トリックなんかに話が広がっちゃうのでこのへんで。
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