この自由な日々も後わずか。わからんけど。
今のうちに行ってなかったところに行っておこうと、多分初めてに近く寄席に行った。火曜日の昼席です。12:30から16:30のたっぷり四時間で3,000円。
場所は上野の鈴本演芸場であります。上野も久しぶりだ。
平日の昼間なのに半分くらいは埋まってる。若い人も多い。
出し物はメインが落語。それはそうでしょう。
他には色物の手品や三味線芸、漫才など。これがけっこう面白い。紙切りはあんまり面白くない。
さて、私は落語というのは非常に特殊な、というか不思議な演芸であると思ってきた。
と言っても実演を見たことはほとんどなく、主にレコードなどの音源、ビデオなどの映像ですね、
志ん生をはじめとして、文楽、志ん朝、枝雀なんかを主に聞いてきたわけです。
不思議というのはどういうことかというと、同じ話をなんべん聴いても面白いんだ。筋も細部も全部知ってるのになんべん聴いても可笑しい。
落語というのはそういう演芸なんだなあと思ってきた。
さて鈴本演芸場。気負って行ったわけではなく、四時間だらだらと見てられればいいや、なんだったら寝ちゃってもいいや、と思ったのですが、いざ始まるとやっぱり聴いてしまう。当たり前だ。
ところが「あれ、おかしいな」と。
ふんふん聴いているがどうも変だ。「ああ、これは「ちはやふる」ですね」とわかりはするが、
面白くない。
特に前半の前座とか二つ目ですね。さすがにとりの噺家さんはそれなりに面白かったけど。
わかったよそうだったのか。名人上手の落語だからこそ何度聴いても面白かったんだ。落語という芸がそうなんじゃなく、志ん生だから何度聴いても面白かったんだ。
今更ながら変なことに気付いてしまいました。
あとはねえ、マクラとかその辺で取り上げるネタがつまんない。槇原のドラッグなんかいじってもしょうがないだろう。
現政府とかアベのバカとかチクチク批判したらどうなんだ。芸人ってのは反骨なんじゃなかったのか。客席の後ろに憲兵が立ってるなんてこともなかったぞ。
閉鎖空間なんだからもっと過激なネタを飛ばせよ。
いや、テレビでもやって欲しいんですがね。
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