『人間の証明』1/2
男は愛を知らずに生きた。
齢が十になる前に学んだ事は、両親から教え込まれた魔術の知識のみ。
一度だって、抱き上げられた事は無かった。学び、学び、学び、学び、学び続けていた。
妹が一人いた。自分が将来大人になった時、一族の血を絶やさない為の女だった。そして生まれつき体が弱かった。
彼は妹を心の拠り所とし、彼女にだけは笑顔と優しさを見せていた。
せめて彼女に優しくする事で、彼女に兄として愛される事で自分は一族の人形ではない、このヒトガタの化物が蠢く世界で生きる唯一の人間である事の証明をしたかったのだ。
しかし、妹は死んだ。自殺してしまった。
病に苦しみ、全てを学ぶ前に苦しみに耐えかねて薬を飲まなくなり、死んでしまった。
それが自殺だと気付いたのは彼女が死んで半年後、一人で妹の部屋を掃除していた時に偶然、薬を大量に見つけたからだった。
妹が自分を見捨て、死を選んだと気付いたその時、彼は理解した。
妹を愛せなかった自分はもう、人間の証明は出来ない。自分は一生を一族の人形奴隷として生きるしかない、と。
そして、同時に強く誓ったのだ。
ならば、人形奴隷として世界中の役にたってやろう。自分が世界の役に立ち、誰かから感謝されれば、誰かの心に自分が人間として残ってくれれば、
自分は世界を騙すことが出来るかもしれない。誰にも愛されない人形奴隷でなく
誰かから認められる人間になれるかもしれない、と・・。
その僅かな願いに全てをかけて、男は妹の部屋の中身をすべて片付けた後、自分の書斎に変えてしまった。
悲しみも、喜びも、全身を巡る怒りさえも、全て知識を蓄える為に空にしてしまった。
その少年の名はダンス・ベルガード。
後に体を捨て、ダンクになる男の始まりの誓いだった。
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〜アタゴリアン城・地獄〜
ダンク「早く、この氷を壊さないとな・・」
ダンクはひび割れた氷像を見上げる。
幾つものヒビの中には祭壇が眠り、周囲の金の盾からは常にレーザーが吐き出されヒビを少しずつ大きくしていく。
だが、アイとの戦闘に魔力を削いだ為にこちらには必要最低限の力しか送られず、これではかなり時間がかかる。
背後の天井では光る大蠍に鋏まれたアイが逃げようともがいている。
こちらの魔力を削る訳にはいかない、と判断したダンクは少しため息をついた後、自身の包帯の切れ端を千切った。
ダンク「現状打破にはこれしかないな。
『魂転(ギテン)』」
ダンクの包帯にはダンクの魂が染み込んでおり、その一部を千切るという事は魂を削る事に他ならない。
その魂が籠った包帯に魔力を与え魂を魔力に強制変化する事で、一瞬で爆発的な力を獲得出来る。
しかしダンク自身の魂を消費する為に、いずれダンクの魂が消滅する危険性も秘めていた。
しかし、今のダンクはその恐怖をまるで心配せずに行動する。
ダンク「『我が命の欠片、我が願いを叶わす為に溶かそう。
我が身に熱なく、冷なく、昂りなく、驕りなく、その願いの為だけに行使する事を誓おう。
色なき世界に色彩を・・虹橋(マーチ)』!」
ダンクが呪文を唱えた瞬間、包帯は中に入る魂ごと燃え尽き、魔力と昇華されていく。
一方、アイもそれを鋏の中から黙って見ている訳が無かった。
アイ「なんだあいつ、急に自分の包帯を引きちぎり始めたぞ!
なんかヤベエ事してんじゃねえか!?
くそ、このまま黙っていられるかああ!」
アイは右肩に顔を近づけ、金属の肩に噛みつく。肩の近くには小さなボタンが仕込まれていて、それを歯で押すと、
肩と腕を連結部分が外れ、右腕が取れてしまう。そのままアイは口で取れた右腕に噛みつき、軽く放り投げて左手で掴む。
アイ「『不成者格闘術(ナラズモノコマンド)・・。
羅生桂馬(ラショウ・ナイト)』!」
アイは左手で棍棒となった右腕を振るい、鋏に叩きつける。
たった一撃で、頑丈な鋏は破壊されてアイの拘束は解け、地面に向かって落下していく。
しかし大蠍は自身の片手が砕かれても尚、アイを捕らえようと今度は長い尾を付き出してきた。
アイ「『不成者格闘術(ナラズモノコマンド)!天邪鬼飛車(アマノジャク・ジャンパー)』!」
アイが宙を繰り上げ、落ちる方向を左に方向転換した事で蠍の尾の追撃をかわし、更にダンクの方向めがけて落下していく。
二人の距離は縮まり、アイは棍棒を振り上げた。
アイ「ダアアアンク!!」
ダンク「何、くっ!」
ダンクが呪文を終え、氷が破壊されるのと、
アイがダンクの頭部めがけて棍棒を振り下ろすのは、
全く同時だった。
爆(バァン)、という破裂音と、重(ズン)という響きが『地獄』に響き渡る。
ダンクは殴られた衝撃で吹きとばされ、近くの石像に背中から衝突してようやく地面に滑り落ちた。
アイも砕けた氷の欠片を全身に浴びてしまい、上手く着地出来ずに地面に転がり落ちていく。互いに全身を襲う激痛に耐えながらゆっくりと立ち上がる。
ダンク「が、あ・・!ま、魔力が籠った、右腕を武器に・・ほんと、テメエは裏技だけは一流だな・・ぐ!」
アイ「げ、げほっ!
あ、当たり前だ!生きるのに必死なんだからな・・ちいっ!」
息つく間もなく、アイは左手の棍棒を頭上に伸ばす。頭上から垂れてきた蠍の尾がそれに触れた瞬間、破壊された。
尾が破壊され、光る蠍はカン高い悲鳴を上げる。
アイ「ちいっ!ダンク、てめえペットの躾がなってねえなあ!」
ダンク「その蠍はお前を『拘束』する命令を忠実に守ってる・・お前こそ人のペットに手を出すんじゃない。
『魔術解除』」
ゆらゆらと立ち上がったダンクが指を鳴らすと、蠍は白く輝いて姿を消し、中から十個程度の金の盾が飛び出した。
だがその瞬間アイは消え行く蠍を飛び越えて、ダンクに向かい飛び越えていた。
右腕をわざわざ元に戻し、拳でダンクに再度挑もうとしていたのだ。
それにはダンクも面食らったが、もう三度目の殴り合いにすぐに冷静さを取り戻し自身に強化魔術を掛けて膨張した腕で殴りあった。
アイ「うらああああああああああっ!!」
ダンク「ハアアアアアアアアアッ!」
互いの拳が飛び、互いの体に吸い込まれていく。
互いに防御を捨て、互いに攻める事に夢中になっていた。
肉が裂けても、包帯が千切れても、血が飛び散っても、包帯に隠した暗闇が広がっても、互いに殴り続けていた。
だが実際、体の無いダンクにとって痛みに成りうるのは右手の攻撃だけだった。
戦闘で何度もダンクの身を持って証明された事実だが、当のアイはまるで気にせず両手で殴り続ける。
ダンク(なんだ、こいつは!?
何故また同じ事を繰り返す!何故また同じ失敗をする!左手からの攻撃は効かねえと・・)
ダンクがアイの腹部を右手で殴ろうとしたが、その右手を左手が殴って止める。
そしてアイの右手がダンクの腹部に刺さった。
ダンク「ぐ・・!」
アイ「何故同じ失敗をするか?さしずめそう思っただろうなぁ。
だが違うんだよ、拳(コイツ)の世界には同じ間違いなんて無いんだ」
アイが右手で殴り、ダンクもそれに応戦しようと左手を出す・・が、その左手をアイの左手が先に殴って止める。
ダンク「!?」
アイ「拳は武器として使用するだけじゃダメだ、盾としても使わないと喧嘩には勝てん。
魔法に頼りっぱなしでステゴロ(素手による喧嘩)をした事のないテメエには分からんだろうがな」
そして、アイの蹂躙が始まった。ダンクの拳を左手が全て防ぎ、時にはフェイントをかけて動きを止めてからの右手によるラッシュをかましていく。
ダンクはだんだん追い込まれていくが、わざと体を背後に飛ばして距離を作り、背後の祭壇の前に着地した。
先ほど飛ばされた時から少しずつ体をずらし、背後に祭壇が向かうよう調整していたのだ。
ぼろぼろの姿のままダンクは叫ぶ。
ダンク「アイ、俺に拳を入れられて自分が勝利出来る状態だとちょっぴりでも思ったか?
逆だ。お前の勝機は消え失せた。
爛々と輝く星の盾はお前の技を防ぎ、体を穿つ。
背後の氷が砕けた今、俺は満身の魔力を漲らせてお前に挑む事が出来る。
いいや、そんな事しなくても俺はこの祭壇に火を投げ入れるだけで目的は達成出来るんだ。
分かったろ、お前に勝機はない。
もう諦めろ・・諦めてくれ、アイ」
アイ「ダンク・・」
ダンク「・・これで、終わりだ」
ダンクは左手に魔法で炎を作り上げる。
それを祭壇に投げ入れようとした瞬間、アイが右手のボタン押して右腕を足の前に落としていく。
その棍棒を、右足で思い切り蹴り飛ばした。
アイ「『成者格闘術(セイジャ・コマンド)』ォッ!」
ダンク「!!」
蹴り飛ばされた棍棒は、豪(ゴウ)と空気を切り裂きながら一直線にダンクに向かい飛んでいく。
それに反応した金の盾がその身を挺して主を守ろうとするが、
その盾を破壊して尚棍棒は速度を落とさなかった。
ダンク「何ッ!?」
アイ「『鬼瓦ノ角成(オニガワラ・プロダクション)』!!」
そしてダンクが逃げる間もなく、その左手に棍棒が突き刺さる。
血染め桜の魔力の籠った、右腕が突き刺さったのだ。
その瞬間、ダンクの全身を駆け巡る魔力に血染め桜の魔力が侵入し、それはダンクが今まで味わった事のない激痛となって内部から襲ってくる。
ダンク「が、ガアアアアアアアっ!!
ウワアアアアアアアアッ!!
ば、バカなアアアア!!
何故、ナゼダアアアアア!!俺は、オレハカッテタノニイイイイ!!」
アイ「勝負は一瞬の隙で決まる。
そんな事もわからねえのか。ダンク。
お前はホントに大馬鹿野郎だな・・」
ダンク「ギイイイイイッ!
コンナ、コノテイドの物オォォオオオ!!」
ダンクは無理やり右手を動かして棍棒を引き抜こうとする。だが、それを抜くための魔力を籠める事さえ出来ない。
ダンクはもはや悲鳴を上げる事しか出来なくなっていた。ワアワアと悲鳴を上げながら、内心では逆にとても冷静に、この状況を受け入れていた。
ダンク(まさか、ここまで来て終わるなんてな。あと少しで俺は勝てたのにな。
まあ、これでもいいか。
俺、どのみち消えるつもりだったからな。
アタゴリアンの連中を殺す事は出来なかったが、アイがユーやシティを陥れようとしたこいつらを甦らせるメリットはない。
アイがこのまま去れば、俺の目的は果たせられるんだ。
悔いは・・ない、さ・・)
激痛で、視界がぼやけてくる。
この体になって始めて、眠る事が出来ると思うと、ダンクの中に安心感さえ見えてくるようになってくる。
ダンク(・・はは、これで、終わりか。
俺も終わり、なのか・・)
ダンクの体から、糸が切れたように力が抜けていく。自分の人生が終わる、という事実が彼の中に浸透していく。
浸透しながら、彼は尚も考えた。いや、『終わる』と気づいた時には彼は堰を切ったかのように思考が動き出したのだ。
ダンク(はは、思えば下らない人生だった。
自分が人間である証明するために誰よりも偉くなって、国中の奴らに魔法が使えるように頑張ったのに『科学』のせいで、ヨソモノの技術のせいで魔法が消されなきゃいけない羽目になって、
それを諦めたくなくて自分の体を捨ててまで頑張ったってのに国の奴らに裏切られるわ自分の体に何十回も傷つけられるわ仲間を裏切らなきゃいけないわ散々だった。
それでもこれで目的は果たせるのなら、それで良しとするしかない。ハハハ、ああ、誰にも体験できない素晴らしい人生だったなあ畜生)
包帯がほどけていく。魔力が散り散りになって消えていく。もうすぐ、消える。
魂だけで現世にしがみついていたが、その魂が消えてしまう。
ダンク(・・だけど、
シティにはもう一度会いたかった。
広場で戦った時はあいつを守りきれなかったし、もう一度会った時はロクな会話も出来なかった上に、果心を殺した直後だった。
俺はもう、あいつに会わせる顔はないとわかってても、もう一度、あいつに会いたかった・・でも、もう無理か・・)
既に視界は見えなくなっていた。
うっすら残った意識が、小さく呟く。
ダンク(終わる。もう終わる。
さらばだゴブリンズ。さらばだ、シティ・・)
アイ「勝手に、死んでんじゃねえよ。
お前は俺が連れ戻すって決めたんだ」
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