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2018年06月21日08:09

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GW帰省 2 枚方の軌道廃線跡

先の連休前半の法事帰省のスピンオフ?日記、約2ヶ月遅れ。一昨昨日の地震で枚方(ひらかた)が全国規模で読み方が知られるようになりましたが、ちっとも嬉しくないぞ!

☆=写真拡大可

4月29日
枚方の鉄道廃線跡といえば鐡道省(→国鉄→JR)片町線星田から東京第二陸軍造兵廠 香里製造所と津田から禁野火薬庫に通じてた、いずれも軍用専用線が一番知られた存在かと思いますが、今回の探索は、その何れでもない「軌道」になります。

・禁野火薬庫 大阪工廠枚方製造所
戦前に大爆発事故を起こした事から土木工事等で時たま掘り出される砲弾類は他の場所ではよく聞く米軍モノではなく日本製が多い?

で、今回見たものは火薬庫倉庫に使われてたトロッコ軌道線が病院改築工事の祭に発掘され、少し場所を変えながらも史跡として保存されたもの。まぁ廃線跡ではありませんが、まぁエエではないか。

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☆ 枚方市駅から1km程の中宮にある市立ひらかた病院駐車場の一角にディスプレイ。実際には200m程の別位置で発掘された。

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☆ 転車台やレール等の鉄部品は程んど残されてませんが戦前にも関わらず枕木がコンクリートであった事が意外でした。軌間は計れませんでしたが、多分610mmか600mmと思われます。

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☆ 所々残された犬釘。コンクリート製でありながら犬釘を打ち込む部分だけ木造になってるのは中国の炭鉱などで見られる構造です。

・淀川堤防工事土砂採取線跡
私メの育った地元でありながら、つい最近初めて知った工事軌道線跡。
淀川左岸堤防工事の軌道線はJRと同じ軌間1067mm。枚方辺りで撮影されたSLの写真は時々見かける事もあり、この枚方工事と線路が繋がってたかは判りませんが守口付近での軌間1067mm工事線は1950年台後半頃に清涼飲料のTVCMに登場してるのを専門学生時代の授業中に観た事がありましたが・・・
さて、枚方での工事線って航空写真に写ってるのかな? と何気に思ったのが1〜2年程前。
ネット上で見てみると確かにそれらしい線が淀川左岸堤防付近で確認でき上流側の線路は天野川左岸堤防内側を辿って京阪本線の鉄橋を潜り・・・えっ?? 

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☆ 国土交通省国土地理院空中写真閲覧サービスより、1948年。線路は更に京阪私市線鉄橋を潜ってからスロープで堤防を越え田んぼの中を通り枚方市街地の一角になる丘陵地に土砂採取場らしいものまで写ってます。堤防工事土砂運搬線なので、どこかに土砂採取場があるとは思ってましたが、まさかこんな位置に!。その運搬線の途中でクロスする道路は、それこそ何百回以上も通過してる道・・・この軌道線の存在を全く気付いていませんでした。空中写真は中央少し上左寄りが京阪枚方市駅、しこから上部へ右カーブしてるのが私市線と天野川鉄橋。その一つ下の道路橋付け根から下に向かってゆるいカーブを描く、はっきりと軌道線が写ってます。それを辿っていった先の画面左中央少し下が土砂採取場で。現在は住宅地になってます。

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天野川左岸堤防内側。奥に見えてるのは京阪私市線の橋。ここにスロープがあった筈ですが20〜30年位前に堤防改修工事が行われたので、その時にスロープは消えてしまったのかも知れません。

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☆ 軌道が堤防を越える位置にある道路橋から。私市線天野川橋を走るトーマス号電車。

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☆ 同じ場所から真後ろに振り返って左岸上流向き堤防外。ここから画面右方向へ右カーブを描く築堤があった筈ですが現在は市関連施設が建ち軌道跡は消滅してます。この先は一部が用水路に転用されてるようです。

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☆ 同じ場所で・・・柵に描かれた交通安全の絵で。ビール(酒)と赤信号は判るんですが、真ん中のタイヤ?は何でしょ??

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☆ さて軌道跡に戻って・・・用水路と、その横の道路。軌道の正確な位置は残念ながら判りませんが、正面奥の自動車が見えてる道路は枚方市駅と香里団地を結ぶバス道路で、それこそ数え切れない程通ってましたが、まさかこの位置で軌道跡と交差していたとはあせあせ(飛び散る汗)

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バス道路を過ぎると間もなく丘陵地へ差し掛かり右カーブの上り勾配になります。軌道線としては結構な急勾配ですが積車は下りになるので、それで良かったのでしょう。(ホンマかいな?)

右カーブを曲がり切った辺りが現道路の坂の頂上で今度は左カーブで下って行きますがカーブ線や勾配が軌道線跡としては急に不自然になります。検証した所、多分現道路は坂の頂上から軌道線横に沿って造られ軌道線跡は住宅地になってる感じです。

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下ってきた車道の一番低い地点。想像ですが軌道線は左の家の位置に築堤と短い鉄橋で、この低い地形(小川がある。現在は暗渠)を越えてたらしいのが1948年空中写真から伺えます。

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空中写真の軌道終点付近南側に地形の段差(削り撮られた段差?)が見えますが、ちょっと脇道に入ると、段差跡に造られたと思われる石垣が見られました。

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土砂積み込み場があったとすると多分掘割になってて積み込み施設があったと思われますが、それも多分埋められ、線路跡に近い位置にある道路で何とか雰囲気を伺い知れるのみ。この付近で終点になり、周りの採掘場跡は静かな住宅地になってました。
現地調査って付近の御歳寄りに尋ねる事をよくしますが、ここで見かける方々は全て採取場が無くなってから住まわれた人々なので軌道線の事は聞けませんでした。

とまぁ工事用の簡易的な軌道線という事もあって、殆ど何も残ってないというのが答えでしたが知らなかった鉄道(軌道)線を一応発掘出来たのではないかと思います。


一旦実家に戻って午後はアニメーション研究家のW氏に会う為に寝屋川へ。

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地元のバス停の一つ、藤田川(とうだがわ)で京阪バス。

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京阪線は寝屋川市で下車。この駅に降りるのは何十年ぶりかなぁ。

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☆ W氏と会う為に一緒に合流したA氏が持ってきた驚き盤、まぁアニメーションの原点みたいなものですが描いてるのが何とディズニーアニメーターのナイン・オールドメンの一人であるキンボール氏! キンボール氏は生粋の鉄チャンである事でも知られ自宅にナローゲージSLを所有してた事は有名。ディズニーがディズニーランド(カルフォルニア)開設時に園内鉄道機関車としてキンボール氏の機関車使用を打診してたというのも何かの本で読んだ覚えが。このキンボール氏にA氏が1980〜1990年頃の広島アニメフェスで来日してる時に描いてもらったものとか。これには研究家のW氏もびっくり、でした。


おまけ的に実家にある模型とかを少し・・・

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☆ 以前上げたことがありましたが関西汽船の「くれない丸」ペーパー木造模型。プラモデルが普及する以前の木造モデルキットで、私メが生まれた頃に親父が造ったもの。遠い記憶で団地の噴水プールで航行させてたのを覚えてます。確か箱もあったけど、今ではどうなったのか・・・ 
仕上げ方法などは今では伝説になってる?枚方市駅近くあった模型屋「MM堂}の店主から教わったそうで。ついでに書けば私メが初めて買った鉄道模型HOゲージ車両も、このMM堂。船体も1m近くもある大きなもので1/80〜1/100位?

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☆ この「くれない丸」は現役で現在は横浜港クルーズ船「ロイヤルウイング」として就航、1960年竣工なので60年弱の船齢です。

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☆ こちらは帝国海軍重巡洋艦「那智」。やはり木製モデル(キット)で多分私メが生まれる前に親父が造ったもの。これは団地噴水プールで航行させてるのを覚えてます。砲身がアルミヒューム管の組み合わせってのが何故か、よく印象に残ってたりして。

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☆ くれない丸共、ホコリが積もってしまって一部は破損もしてますが約60年前の船舶模型として、ちょっと撮ってみたもの。

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これは実家廊下に昔から掛けてあるD51型ネクタイ掛け。D5110なら流線ドームのナメクジタイプですが、これは量産型で、実車には無いバッファー?がネクタイ掛け。

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煙室扉を開けると鏡。何かの記念で40年位前に貰ったものと記憶。

 続く


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