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2017年11月14日12:21

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誰も知らない日本の核開発。

日本は世界最大の核兵器製造国である。そして世界最初のの核保有国でもある。
この事実を知ってる人はいない。私のみである。
ニニギの父は戦時中東京巣鴨の陸軍の地下秘密工場で原子爆弾を製造していた。そしてそれは完成した。その地下工場の入り口は鉄の扉に閉ざされていまだに誰も入った人はいない。
このことを戦後初めて父は読売新聞の「昭和の天皇史」で投稿した。これが唯一の日本の原爆開発に関しての文章である。
戦時中の核開発について知ったように言う人は全てこれを読んで言ってるだけだ。
しかし父は私に言った。あの記事はほとんどでたらめだ。戦犯を恐れ父は本当の事は書かなかったのだ。だから真実を知っているのは直接話を聞いたニニギのみなのである。

原子爆弾は既に完成していた。アメリカに情報が洩れてアメリカでも原爆を製造していることがスパイを通じて筒抜けだった。そしてそれをテニアン島に運び込んだこともスパイから連絡が入った。しかし日本の原爆は運び出すことすら不可能が現実だったのです。
そして恐るべきことは起こった。
さっそく父は広島に調査に行った。すぐに原爆との報告を軍に連絡して、岡山の実家で村の人々に「危険だから片付けにン行かないように」と言ったのだが、みんな無視していってしまった。一か月後村人はかえって来たが、全員原因不明の熱病で死んでしまった。急性被曝が原因だ。
そこで終戦を迎えた。工場は閉鎖されて、父もそのまましらばっくれていた。だからその現実は誰もわからなくなっていた。

これが世界で最初に原爆を造った実話です。
母は近所の人を集めて地下工場の上を芋畑にするように軍から言われて、サツマイモを作っていた。そしたら大きなサツマイモが沢山採れて、食べる物には苦労しなかったと。ニニギはそのサツマイモの栄養で生まれました。
父は2回ほどウランの濃縮で失敗をし、爆発でメガネを割ってかえって来たそうです。放射能まみれで、そのまま省線に乗って帰ってきた。だからニニギは放射能まみれ人間なのです。もはや普通の人類ではないのです。
父の言葉に「放射能は一瞬にして数十万人の命を奪うことができる。しかし使い方で数百万人の命を救うことができる」と言いました。それを今ニニギはやっているのです。親の意思を継いで。


更に世界最大の核兵器製造国であることに関しては国家機密であるのでこの場では止めておきます。詳しくはアメリカの公開された公文書に書いてありますので探してみてください。

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