あの震災も6年半前になったんだね。
大人もつらかったけど、子供だったらどんなにつらかったか。
なんで家に帰れないのか、なんで十分食べ物がないのか、
なんで寒くても着るものがないのか、なんでお水が順番でしか飲めないのか、
なんで行きたいときにトイレに行けないのか。
そしてどうして学校にいけないのか友達と遊べないのか。
気の毒で気の毒で仕方なかったけど、
まずは命を守ることが大事だったから、
最低限の着るもの食べ物水屋根のある場所、だったから、
大きな声で笑ったり話をしたりはできないし、走り回ったり遊んだりできないし、
本も読めなくて、気の毒だった。
そういう状況で、
ごはんを手渡してくれたり、お水を運んできてくれたり、
お風呂をわかしてくれたりした自衛隊の人、
家族を探してくれた警察や消防の人、
家のどろを掻きだして掃除を手伝ってくれたボランティアの人は、
神様みたいに見えたと思う。
そして「神様」そのものにはなれなくても、
少しでも神様のお手伝いをしたいと思ったと思う。
だから警察消防自衛隊看護師医師に、なりたい人が増えたと聞けば
そうだろうなと思う。
追記;
「ありがとう」
文房具ありがとう
鉛筆、分度器、コンパス大切にします
花の苗ありがとう
お母さんと鉢に植えました 花が咲くのが楽しみです
うちわ ありがとう
暑い時うちわであおいでいます
靴をありがとう
サッカーの時とっても蹴りやすくて 一生懸命走っています
クッキーありがとう
家でおいしく食べました
参考書ありがとう
勉強これからがんばります
図書カードありがとう
本をたくさん買いました
焼きそば作ってくれてありがとう
おいしくいっぱい食べました
教室に扇風機ありがとう
これで勉強はかどります
応援の言葉ありがとう
心が元気になりました
最後に
おじいちゃんを見つけてくれてありがとう
さよならすることができました
菊田 心 (気仙沼市 11歳)
✩震災の後、学校に通えるようになると毎日のように支援物資を持って帰りました。お母さんは「感謝だね。ありがとうだね。」と言っていましたが、僕はきちんと感謝の気持ちを言えていなかった気がしました。おじいちゃんは夏はキャンプ、冬はスキー、アトピーの僕を温泉に連れて行ってくれたり、書ききれないくらい大好きでした。
3月11日から帰ってこないおじいちゃんを、2ヶ月経った時見つけてくれたのは、遠くから応援に来てくれた警察の人でした。涙がいっぱい出ましたが、きちんとお別れすることができました。
この詩を書く事で、今は元気に学校へ通っていることを名前も分からないけど応援してくれたたくさんの人に伝えたい。たくさんの「ありがとう」を書きました。
■被災した若者は、人の役に立つ仕事志す 米チームが論文
(朝日新聞デジタル - 09月08日 14:24)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4756347
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