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2017年08月08日21:49

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僕は鳥になりたい

ガキ大将のアルは、広場の隣りの家に住む同い年の風変わりな少年になぜか興味を覚え、それまでの仲間から離れ、彼の趣味に付き合うようになる。
少年は、家に鳩を連れてきて飼いならし、伝書鳩にしたてる夢を持っていた。
いつも鳥のことばかり考えて、自分も空を飛ぼうと思っている彼に、アルは「バーディ」とあだ名をつけた。
二人は、高速道路の危険な橋げたや夜の工場の錆ついた屋根の下に入り込んで、そこに集まっている鳩を捕まえたり、羽根の仕組みを研究して人間用の翼を考案し飛ぶ実験を試みるが、無茶をして怪我をしたり、大人に追いかけられたりする彼の面倒を見るのは、いつもアルの方だった。
海へ行ったことがないというバーディのために、父親の修理工場からオンボロの廃車を譲り受け、かき集めた部品で修理して、アトランティックシティへ連れてゆくアル。
アルは二人連れの女の子をナンパして、浜辺でさっそくお楽しみを始めるが、バーディは一向に興味を示さない。

同じ頃、バーディはレモン色の美しい小鳥に一目で恋に落ちたかのようにして買い求め、パータと名をつけて夢中で世話をする。
ハイスクールの卒業パーティの夜。
クラスメイトに誘われるまま外出するが、ガールフレンドとよろしくやっているアルを横目に、車の中で女の子が服を脱いでも、バーディの気持ちは動かない。
帰宅した彼は、パータのために部屋に作った大きなケージの中へ、服を全て脱ぎ捨てて入り、丸くなって横たわる。
パータがバーディの身体の上に飛んできて止まる。
バーディは夢の中でパータと一体になり、パータと一緒に空を飛んで、パータの目で世界を見る。
月あかりが彼らを照らす。
翌朝やってきたアルは、「うまく説明できないけど、とても素晴らしいことが起こった」と夢見心地に話すバーディを見てから、彼と距離を置くようになる。

アルはバーディに声も掛けず、一足早くヴェトナムへ出征していった。
しかし彼は戦場で顔面を負傷し、包帯でぐるぐる巻きになって帰国、その足でバーディが収容されている軍の精神病院に向かった。
バーディもまた戦場で行方不明となり、気がふれた状態で助け出されて、彼を正気に戻す手段として軍医がアルを呼んだのだった。
バーディは、施錠された個室の床で、まるで鳥のように腰を落として、天上の高さにある窓をじっと見つめていた。

バーディ、俺もこんなになっちまった。
包帯とるのが怖いよ。どんな顔になっちまってるんだろう。
誰も俺と気がつかないかもしれないな。
ジョン・ウェインのようにはいかなかった。
俺たちは政府にだまされたんだ。

バーディ、昔の話をしようや。
野球やっててお前んちの庭に入っちまったボールは、ぜんぶお前のおふくろさんが埋めちまったんだろ?
お前はあとでちゃんと返すって言ってたから、おふくろさんに言って送ってもらおうか。

バーディ、お前を独りにしてすまなかった。
頼むよ、思い出してくれ。
俺と話をしてくれ。
もうあまり時間がねえ。
このまんまだと、一生ここにいるハメになる。

食べ物を受けつけなくなったバーディは、いよいよ点滴につながれることになり、アルにも時間切れが宣告される。
バーディ、お前が戻ってこないなら、包帯をしたまま、俺も一緒にここにいる。
俺もこんな顔じゃあ、もう自分の人生を生きられない。
捨てられた犬みたいなもんだ。

すると、アルの腕の中で、バーディが何か小声で呟く。
バーディが喋ったぞ!
アルが興奮して喚く。
何事かと警備員が駆けつけるのを、アルが叫びながら突き飛ばし蹴散らして、バーディを抱きかかえたまま階段を駆け上る。
屋上に出たバーディは、両腕を羽ばたくように動かし、そのまま宙に向かって地面を蹴った。


アラン・パーカーが1984年に撮った映画『バーディ』を観た。
カンヌで大きな賞を獲った作品だが、都内では単館上映されただけで、その後すっかり忘れ去られていたように思う。
単純明快だが戦場で深い傷を負ったアルをニコラス・ケイジが、当時25歳のマシュー・モディンがイノセントな高校生を演じている。
マシュー・モディンが鳥と一体化したかのように全裸で佇む場面が何度もでてくるが、彼のプロポーションが息を呑むほどに素晴らしい。

青い月光の下に横たわり、パータを愛撫する場面。
精神病棟のベッドの枠を止まり木のようにしてしゃがみ、空のある方向を見つめる場面。
壁と便器の間に翼をたたんでいるかのように身体を押し込み、何時間もそうしている姿。
あるいは、バスタブで看護婦に身体を洗ってもらいながら、猫が襲ってくるのに気がついたように怯える場面。
バーディの、無駄な脂肪も不必要な筋肉すらもない肉体が、人間としての手足が邪魔であるかのように折りたたんだ格好で、そこに佇んでいる。
飛ぶことしか望んでいないというのに、風切り羽根を切られて飛ぶことが許されない鳥のように。
端整を極めた容姿のマシュー・モディンが、映画の後半はもはや、人間以外の生き物にしか見えてこない。
それがまた、生活感たっぷりなイタリア系のニコラス・ケイジとの陰陽を醸して絶妙だ。

反戦の主張もさることながら、人は誰でも生きるにふさわしい場所があるのだから、それを削り取ることはしないでおこうというメッセージを、受け取った気がした。



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