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2017年06月21日20:33

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30年の研鑽

昔むかし、ポテトチップのTVCMで、異国の影絵芝居の一コマが使われていたことがあるはずだ。
ゼッタイ間違いない!と今も思っているが、ほかに憶えておられる方がいらっしゃるかどうか。
けれどきっとこの記憶は正しい。
なにしろあのコマーシャルは、私の人生を変えてしまったのだから。

ずっと気になっていたあのCM映像が、その後ジャワのワヤンという芸能だと知った私は、卒業旅行で友人とインドネシアの地を踏んだ。
かの国の古都、ジョグジャカルタとソロにある王宮を見学し、青銅の民族楽器ガムランを聞きながら観光客向けの短いワヤンを観て、バリ島に移動し、そこでも影絵やケチャやその他の芸能に触れた。

その短い旅は、人生に決定的な影響を及ぼしたようだ。
さほど上質のものに触れてはいないと思うが、それでも、ジャワの静謐でノーブルな文化は、インドやバリヒンドゥが持つ熱気とは全く別種の魅力をともなって私の胸を浸した。
以来、ワヤンやガムランなど、ジャワの伝統文化に接する機会を逃さぬよう、アンテナをたてて日々を過ごした。
都内での徹夜のワヤン上演にも足を運んだものだ。
1980年代。
誰もが、少しだけふくらんだ財布を片手に新しい価値を探していた「エスニックブーム」の真っ最中だった。


そうした日々の中で知ったのが、藝大OBを中心とした、中部ジャワの王宮に伝わるガムランを学び演奏するグループ「ランバンサリ」だ。
かつて小泉文夫氏が藝大に寄贈したガムランセットで学んだ学生たちを母体としている。
私がジャワ文化に耽溺するようになった頃には、すでに結成から6-7年たっており、ジャワの王宮でガムランや舞踊、謡を修めたメンバーが、さらなる研鑽を積みながら、時おり公演や発表会を行っていた。
専用のガムランのセットを持ち、お揃いの衣装に身を包んだ彼らの公演に足を運ぶことは、生演奏に接する大変貴重な機会だった。

その後、世の中と自分の環境が少しずつ変わってしまったため、ジャワの匂いからはずいぶん長いこと離れてしまっていた。
けれど、ガムランの音、影絵芝居に語られるラーマーヤナやマハーバーラタの物語はすでに自分の裡にあると感じていたので、時おり自分の頭の中を覗き込んで、その豊穣な文化を反芻する、ということは繰り返していた。


今年の春、日本にジャワのワヤンを紹介し続けてきた松本亮(まつもと・りょう)氏が亡くなった。
私の父と同じ年齢だったそうだ。
ああ、私がワヤンから、ジャワから離れていた間に、先生は歳をとられ、逝かれてしまったのだ。
蔵書をあまり持たない私が、それでも数回の引越しの際にも処分など思いもよらず、ずっと持ち続けていた著書、『ジャワ夢幻日記』を本棚から取り出して再読すると、やはり、私の裡から響いてくるものが確かにあった。
こんなにも美しい書物を、私はほかに知らない。
先生、ジャワはあれ以来、だいぶ変わってしまったでしょうか。


そうしているうちに、ランバンサリの自主公演の知らせをキャッチした。
日暮里の駅前にあるホールでの公演は、そういえば確か毎年継続して行われているはずだ。
私はかつてここへ、日本語によるワヤン公演を観に来たことがあった。
ダラン(人形遣い)を、松本氏本人が務めていたかもしれない。

ホールは観客で埋まっていた。
着任したばかりのインドネシア大使も、バティックシャツ姿で臨席している。
しばらくぶりで観たランバンサリのメンバーには、かつて通った公演で見知った顔が何人か、それから名古屋や福岡など、地方で活動している演者もずいぶんいるようだ。
王宮に伝わる古典様式にのっとった、しかし経済危機を糾弾する内容の謡をかぶせた近作、首都ジャカルタの西に広がるバニュマス地方の竹のガムランと愉快な掛け合いの歌、女性舞踊家による勇壮な仮面舞踊(トペン)、4名の踊り手(スリムピ)による正統派の宮廷舞踊・・・。
女性歌手(シンデン)によるジャワ語の謡は、地の底から湧き出てホールを満たし、さらに天上に昇って宙に溶ける。
そこにあるのは、言葉の意味を超えた、霊魂の舞いのようなものだ。
王宮の音楽も舞踊も、人々に向けて演じられるのではなく、王家とその先祖に奉納するためにあるのだという。

臨席した大使は、どう思ったろうか。
結成からすでに30年を経ているランバンサリがこの日披露した演目は、おそらくは現在ジャワの演者が見せるものに比べて、そう劣ったものではなかったはずだ。
仮面舞踊トペンの、一筋の軌道も乱さぬその型の動き。
弦楽器ルバーブの、ガムランに添い、ガムランを支える古拙な調べ。(奏者は私が昔から憧れている人だ。今はジャワにお住まいと聞く。)
中部ジャワという一地方の、王宮に伝わる芸術を、外国の音楽家たちが継承し、学び、伝えるとは、一体どういうことなのか。
ランバンサリのメンバーは日々それを考えているのかもしれないが、偶然出会った愛好者である私には、その答えはひとつも思いつかない。
ただ美しく、ただ誘われる。
ながいこと離れていても、いつでも戻ってゆける。
自分の「前世」というものを、疑ってみたことならあるけれど。


公演の途中、「ホール全体をジャワの森にしてしまう」試みがおこなわれた。
聴衆にはあらかじめ森林のアロマを含ませた小さな布切れが手渡され、開封すると、かすかな樹木の香りがホールに漂い始める。
演奏が始まると、照明が床に濃い木々の陰を落とす。
空調を操作したのか、室内が徐々に蒸し暑くなってくる。
すると遠くから雨の音が近づき、やがて遠雷をともなったスコールになって、にわかに涼しい風が吹き付けてくる。
演奏がしばし止むと、雨があがり、だんだんと陽が落ちてくる。
また静かな演奏が始まり、黄昏とともに、今度はにぎやかな蛙の合唱が聞こえてくる。
夜が更けるにつれて、眠気をともなうガムランの音はしだいに静かになり、やがてまた、朝の気配が立ちのぼってくる。

湿気を含んだ、熱帯の一日。
月しか照らすもののない、ジャワの夜。


すべてのプログラムを終えると、代表者が立ち上がって、これから3月に亡くなった松本亮さんに捧げる曲を演奏しますという。
氏が愛した、夜を徹して演じられるワヤンの最後の曲、夜明けとともに必ず歌われる「アヤアヤアン・パムンカス」を、ガムラン奏者と踊り手と歌手が全員で奏で、歌う。

松本先生、聞こえますか。
ここに集まった人々はみな、あなたのおかげで、あなたとともに、あなたと同じものを愛したのです。

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