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2016年09月18日13:26

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緊急報告 !! ニニギ遂に9000年前に海底に沈んだムー帝国の遺跡を発見。初代国王ベラムーと会う。

富士の岩戸(二二ギ尊のお墓)を開いて以来ニニギ尊さんに取りつかれてしまった。
いつの間にか頭の中で「ニニギ、ニニギ、お前はニニギ」とささやかれて遂に自分の名前にしてしまった。まさか高天原の神皇の名前だとは思わなかった。
そのニニギ尊さんが5月の連休明けに「パラオに忘れ物があるから行ってこい」と突然言い出した。
さっそく手配をしたらJTBで「チャーター便で行くパラオ5日間の旅79800円」というのがあった。
通常パラオに行くのはグアム経由で2日かかりになる。それが直行便となるとわずか4時間半で行ける。
さっそく一人部屋で申し込んだ。料金は高くなって11万円になってしまった。ホテルは街中の安ホテル。「ウエストプラザホテル デスケル」というホテル。1階がスーパーになっていてレストランは無い。でも向かいにいいレストランがあって朝食からやっていた。モーニングセットが5ドル95セント。なかなか居心地のいいホテルだった。部屋は広々している。

9月11日。いよいよ成田から出発だ。
搭乗口に行ってびっくり。飛行機はANAのチャーターなので小型機かなと思ったらなんとボーイング767−300の300人乗りの大型機だ。それも満席だった。これが毎日パラオに飛んでいる。毎日満席。
なんということだ。パラオは今日本人でごった返していたのです。
観光地も街のラストランも日本人しかいない。しかも何処も満員。メニューも日本語しかない。
シュノーケリングなど100人くらいの人数で芋を洗うようだった。パラオは日本人で大ブレークだったのです。かつてのサイパンを上回る状態。さすが天皇陛下が行かれた影響だ。
圧倒的に若い女性たちが多い。
パラオはダイビングで有名だが、観光でダイビングをする人は少ない。老人や赤子連れも多い。
そうなるとロックアイランドのシュノーケリングとボートツアーが中心になる。
パラオの観光はたくさんのオプショナルツアーが日本人のツアー会社が用意している。それを使わないと交通機関もないので身動きが取れない。

ニニギもオプショナルツアーを頼んだが、それがどれも満員で苦労した。
初日は「ロングビーチとミルキーウエイ」のボートツアーだがこれは乗り合いなので一人で何とか申し込めた。しかし100人を超える大団体となった。
2日目が困った。遺跡巡りのツアーはどれも満員だ。
一つだけ「ネイチャーアイランドトレッキングツアー」というのが空いていたので頼んだ。
パラオは遺跡が多いのだがどれもそのルーツは分かっていない。その中でも「パワースポット」と呼ばれる場所に行くのがこのツアーだった。

9月13日午後いよいよ出発だ。
島に行くには専門のツアー会社「ネイチャーアイランドツアー」がある。
ネイチャーアイランドという島があるのだ。
ツアー会社の桟橋からボートに乗り30分のクルージングだ。
ところが船は小型のボートで、老人のドライバーとニニギの二人だ。座る場所もないので運転席の前のデッキにしがみついて乗るのだった。

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大きな入り江から外洋に向かって舟は走る。
よく見たらこれは「王道」ではないか。
国王が生まれるとこの王道を通って外にでる。王道とは足を開いた状態の足の付け根から足の外に出るのだ。これは生まれ変わりを意味する。日本にも高天原の時代の遺跡にはこの王道が多い、伊豆半島の松崎もそうだ。新潟県の奴奈川媛産所もそうだった。女性が大きく股を開いた形の山がある。

必ず王道はど真ん中から外にです。パラオでも灯台があって真ん中からしか出られないようになってました。
この左側の半島がネイチャーアイランドです。わずか数メートルの切込みがあって陸続きで無くなってます。パラオにはこのような狭い海峡がたくさんあります。人工的なものです。

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いよいよネイチャーアイランドに到着です。
幅の狭い小さな桟橋に舟を着けます。

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桟橋から降りるとそこは小さなエコリゾート「ネイチャーアイランドリゾート」になってました。
人もいなくて桟橋で出迎えてくれたのは犬。なんとこの犬が案内役だったのです。
このネイチャーアイランドリゾートにはエコバンガローが8室あります。冷房もなく自然の風だけ。でも室料は1部屋150ドル。食事はレストランがあって3食で50ドル。ほかに何もないのでこれを食べるしかありません。飲み物も何もありません。無料のミネラルウォーターだけ。これが本当のエコリゾートなのです。不自由をあじあう分だけ料金が高いのです。

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ここからパワースポットに入るわけですが、ここからが大変。トレッキングと言ったのですが実際は崖登り。ごつごつのサンゴの崖を登ります。たまに平坦な道も。年寄りのニニギにとっては命がけ。30センチ以上足が上がらないのに一つのステップが50センチくらい。
途中の分岐路(ピラミッドの頂上までいける)までくると現地のガイドはこれから先は神聖な場所なので入らない。案内するのは犬だった。あとは老人のドライバーとに二ギ。
100メートルほど行くとパワースポットにたどり着いた。
パワースポットとはなんとガジュマルの木だった。

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樹齢1000年くらいのガジュマルの大木であった。これがパワースポットだという。
まさにこれは御神木。
ということはこの近くにお墓の石室の入口である岩戸があるはずです。
木の後ろは崖になっていた。

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崖に沿って進むと、そこに岩戸はあった。
大きな岩でふさいであるが、横から奥の石室への洞窟が見える。
近づいた瞬間。岩戸の扉に変化が現れた。扉の岩の左上の方に顔が現れたのです。(実際にはっきりと表れたのですが、写真にも少し写っていた)。遂にムー帝国初代国王「ベラムー」のお墓にたどり着いたのです。
ムー帝国の繁栄は約3000年間。滅亡が今から9000年前。なんと12000年前の国王のお墓の遺跡を発見したのです。(全てベラムーさんから聞いてきた)

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ムー帝国のピラミッドの発見は世界初。これは今世紀最大の発見となります。
国王の石室の入口が発見されたことにより、遥か12000年前の世界の真実がいずれ明らかにされることでしょう。
しかしニニギ二取ってはそんなことはどうでもいい。
ベラムーの蘇りによって、これから迎える人類の試練の対策を教えてもらわなければならないのです。
二二ギは富士の岩戸を開き、ニニギ尊さんから生命の秘密を教わりました。そしてラジウム石の使い方も。今度はどんな使命があるのでしょうか。
ニニギの訪問によって国王は蘇りました。顔が浮き出してきたのはそのためです。

ムー帝国の岩戸開き見事に成功いたしました。これから私の体にどんな変化が表れてくるのでしょうか。(ニニギ尊さんの時はその時は気づかず、しばらくたってから突然変化が出てきた)
6000年前の高天原をクリアーした(2004年6月13日岩戸開き)二二ギはさらなる12000年前の世界へと。(2016年9月13日)その旅は続いたのでした。一見信じられないようなこの話。しかしこれは現実です。すでに信じられない奇跡を乗り越えてきたニニギにとってはもはや当たり前のことになってしまいました。

しかしこの大事業には大きなリスクが伴います。
2004年6月13日の岩戸開きはその6っか月後、12月26日にスマトラ大地震が起こりました。
2010年9月20日の岩戸閉めのその6っか月後の2011年3月11日には東日本大震災がありました。岩戸開きの操作は、地球の回転に影響を与えるために必ず6っか月後に地球の自転が変化して巨大地震が起こるのです。これは避けようのない地球の運命なのです。

したがって2017年3月。巨大な大地震が地球を襲うこととなるでしょう。
これによりムー帝国は浮上します。
特にパラオは王家の聖地でありお墓の場所です。
パラオのロックアイランドはもともと聖地であり、住民の立ち入りはできませんでした。今も世界遺産となり人々の立ち入りは制限されてます。
パラオのピラミッドには急峻な四角垂のピラミッドもあれば、前方後円墳型のピラミッドもあります。ピラミッドはムーの時代。前方後円墳はのちの時代のものでしょう。
いずれにしろパラオは世界最古のムー文明の遺跡なのです。
この発見は後世まで語り継がれることでしょう。

今までのパラオの歴史は全てでたらめです。

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