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2016年09月14日22:50

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「カピタン」研究(51)

 前回から随分と間が空いてしまったが、例によって出口氏による余詰指摘が載っていたのでこれも引用しておく。

#75
10手目41馬の手で、84馬、85歩、83馬、84歩、73馬、83歩成、74馬、
84と、64馬、74と、65馬、75と、イ32馬、31桂成、22馬、23歩、33馬、
32金、11馬、22金迄同手数の別詰あり。
また、イより83馬、84と、82馬、83歩、92馬、93と、91馬、82と迄もある。

#87
5手目より36銀、46玉、47銀左迄非限定のキズ―というより余詰か。

#93
2手目は13玉が正しい。

#94
13銀生、23玉、12銀生、13玉、24銀成、22玉、33金、13玉、23銀成迄。
これはやはり余詰でしょうね。

 それから、草場純氏による興味深い一文を見つけたので、これも引用しておこう。

詰将棋基礎論

 すべてルールには理由のないルールと理由のあるルールとがあると思います。理由のあるルールはゲームの(内的な)論理に依ってルールがあると思いますが、本当は理由のないルールの方がより本質的なルールです。例えば、千日手に関するルールは理由のあるルールですが、なぜ王を取らなければいけないか?などと問われてもそれは将棋の本質にかかわるルールなので理由などないのです。ここあたりの研究を組織的にやりませんか。例えば数学の世界には数学基礎論という分野があります。フェアリー将棋の分野でも将棋基礎論といった分野を拓いたらいかがでしょう。
 20-16を読んで驚いたことは「将棋のルールが成文化されていない」という事実です。これは本来将棋連盟の仕事と思いますが、「動ける駒が一つもなくなったらどうするか?」など将棋基礎論の一つのテーマだと思います。他にも「なぜ二歩は禁手なのか?」「なぜ打歩詰は禁手なのか?」などテーマはたくさんあります。どなたか適任者を選んでやってはもらえないでしょうか?それがないと、安心してフェアれない!(草場純)


 二歩や打歩詰は筆者の言う「理由のないルール」だと思うので、「何故二歩は禁手なのか?」と問うことに意味があるとは思えないが、言いたいことは分かる。伝統詰将棋をフェアリー詰将棋全体の部分集合と見做し、細部に至る迄包括的かつ厳密なルールの定義をしてみたい、そしてその為の理論的な基礎を確立しておきたいということなのだろう。
 詰将棋のルールはかなりの部分ご都合主義的なところがあり、理屈より感覚が優先されているので、今更well-definedなものにできるとは思えないが、それは別にしてこういう壮大な取り組みは見ていて面白そうだ。(お前やれと言われても出来ませんが)
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