といっても電気通じてないし水道ないので、
来た患者さんの話聞いて薬渡すだけ。
保険証確認もできないし領収書も切れないので、
住所と名前を紙に書いてもらって出した薬を書きこみました。
お金はあとでいいです、計算機も動いてないし。
午前中3時間くらいだったけど、1日2,3人は来た。
あのときの患者さんがその後支払いに来たかどうかは覚えてない。
電気通じて本格的に始めたのは10日後くらいだったかなぁ。
薬問屋さんが毎日御用聞きに来てくれた。
倉庫の薬がなくなる前に物流再開したので安心したけど、
「被災者無料」なので日ぜに入らず、
被災者無料の扱いが複雑だったらしく健康保険からの支払いが遅れて、
銀行残高がどんどん減少、電気代も払えない?!とこまでいった。
そこで無事に2か月分くらいまとめて振り込まれて
ホントに首の皮1枚で生き延びたよ。
懐かしいというか、すさまじい思い出。
益城「赤ひげ」院長が診療再開
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3956022
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