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2016年04月17日23:53

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西武安比奈線とJEEP

16日、2回目の西武安比奈線探索に行ってきました。
前回は全線歩きが中心でしたが、今回は終点の入間川河原にある安比奈駅跡の古典レール探索がメインなのでジープで向かう事にしました。探索の目は多いほど良いのでマイミクのK-bem氏と鉄連関係の捜索です。ついでに? ジープと荒れた線路ってのも久しぶりに撮ってみようかな、って事でわーい(嬉しい顔)

第1回目安比奈線探索 3月6日
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写真は全部拡大可

晴れ時々曇りで気温も少し暑い位のまずまずの天候、南大塚駅でマイミク氏と合流して安比奈の最初の目的に向かいます。

フォト

ミクシィトップ写真のレール上に乗ってるジープと同じ場所での撮影。前回撮影から10年以上の時が経っており、木の根の影響でレールは、よりフニャフニャに・・・軌道敷きも土に埋まって10年前よりレールが低くなってます。軌間(ゲージ)が本来は1067mmの筈が標準軌並みの1400mm近くまで広がってしまってる辺りは昔と変わらないようです。
写真も昔はコンデジ、今回はデジ一眼と撮影時間の違いもありますがトップ写真と比べると俄然写りが違う事が、よく解ります。

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少しバックさせて草原の中から。この辺りの線路は、まだ枕木に固定されてる状態なので軌間は1mちょっとしかない為、ジープのタイヤはレール上に乗ってません。

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違う方向から眺めたら凄い牧歌的でした。そこに線路があることすら分かりません。

とりあえず撮りたい写真を撮ったので、次はメインテーマの鉄道連隊刻印入りレールの探索です。

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鉄道連隊のマーク、写真はネットから(この画像のみ拡大できません)
重要なヒントが事前に解ってた事もありますが、それを元に目星を付けてた場所へ行くと・・・それがドンピシャ!

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あっけない程、すぐに見つかりました。ワイヤーブラシで錆を落とすとクッキリと交差する斧とレール断面が現れました。

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1910年 八幡製鉄所製の30kg/mレール、ポイント部材の中の1本でした。鉄道連隊軌道と言うと軌間600mmの軽レールを思い浮かべますが、当時でも官鉄を使った演習が行われて演習線も敷設されてましたから、そういった場所で使われた(使われる)為のレールでしょうか?

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同じポイント内の端のレールは THYSSEN 1923 60LbS ASCE-IOGR とあります。ドイツ製らしいです。 水道橋の真下に近い場所です。

次はK-bem氏に案内してもらって、私メは、まだ未確認の皇紀陽刻レールを見に、奥のヤード(跡)へ向かいます。

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八幡製鉄所製の紀元2604年(1944年・昭和19年)製のレール。ポイントのトングレールですが先程の鉄連マークの位置の従って、それらしい所をよく見ますが鉄連陽刻らしいものは見当たりません・・・残念。

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同じポイント内の部材には「工」の陽刻が。たぶん旧工部省の事を表してると思われますが、ポイント部材の中の1本でレール長さが短い事もあってか他に刻印は見当たりませんでした。

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そこから少し先に行くとレールが確認出来る一番末端のピットの場所。JEEPをわざわざ入れ込んでうれしい顔

場所的にオフロードコースの端なので、このオフロードコースを少し走って車道へ戻り、入間川の流れを眺めながら駅弁を頂き、しばしのトロッコ談義が盛り上がります。

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ここからは戻りながらの撮影になりますが、まずは砂利採取トロッコ軌道のピア。

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その近くのポイントのトングレールに刻印された八幡製鉄所 1928年製の30kg/mレール。このレールも調べましたが、やはり鉄連陽刻はありません。

安比奈線のレールは1920年代米国製の30kg/mレールが中心で、更に古いレールや国産モノはポイント内だけで確認できました。更に八幡製鉄所製でも鉄連陽刻があるのは1910年製だけで1920年代になるど、鉄連刻印は確認出来ませんでした。

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さて、帰りがけもJEEPと線路の撮影を続けます。僅か1ヶ月で下草が芽吹いてレールの大半は隠れてしまってます。

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八瀬大橋取り付け道から。レールの殆どが下草に隠れてしまってます。安比奈方向。

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今度は八瀬大橋取り付け道から上写真の反対側、南大塚方向。線路敷きから車道上に出るには結構遠回り強いられますが、次は無いだろうなと思い努力した?次第ウッシッシ しかし1ヶ月前は結構レールが見えてましたが、下草で殆ど見えてません。

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上と同じ場所。俯瞰の形式写真に使えそうあっかんべー

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上と同じ場所、真正面のは八瀬大橋の取り付け道のコンクリリート壁。

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もう少し南大塚寄りの木の根っこに飲み込まれる下に残る陽刻と、それをなぞったチョークは20年以上も前の作業の跡。

帰りは新座まで戻ってきた所で少し脇道に逸れて保存車両見学の道草。

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元西武山口線客車「3」

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よく考えたら台車は旧軍鉄道連隊九十七式軽貨車の改造、意識してた訳じゃないけど安比奈の鉄連陽刻レールとの鉄道連隊繋がりでしたわーい(嬉しい顔)指でOK

同行のK-bem氏から、この客車は頚城のコッペルSLとも関係があるとの指摘。確かに山口線に頚城のコッペルが入線した時、井笠鉄道木造客車が入線するまでは、これを牽引してましたからね。ただ私メが初めて山口線を訪れた時は井笠客車が入線し、頚城と井笠のコッペルSLは既に返却、台湾製糖のコッペル2両が入線した後の時期だったので、頚城コッペル+九十七式改造台車客車の組み合わせは見た事がありませんが、いろいろと歴史を感じるひと時でありました。


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