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2016年03月14日21:08

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行方昭夫 『東大名誉教授と名作・モームの『赤毛』を読む 英文精読術』

行方昭夫 『東大名誉教授と名作・モームの『赤毛』を読む 英文精読術』

  2015年11月10 日 第1刷発行 (DHC)


                            一

 1月の後半に紀伊國屋書店新宿本店で買つたのだが、もう3刷まで行つてゐた。売れてゐるのだな。

 著者が長年主張してきた「翻訳できるレベルにまで綿密に読みこむ英文精読こそ英語上達への早道」といふ考へを実践するための、集大成の書物と言つてよからう。

 サマセット・モームの有名な短篇小説 “Red” (1921年)を、最初から最後まで詳細に解説しながら読み解く。本文は左開き。の本文では、見開き上部に原文を置き、英文解釈的な(時に誤訳を交へた)「試訳」と、改良した斧鉞を加へた「決定訳」の二つを左右に並べた上、解説をつける。さらに商品として通用するやう斧鉞を加へた「翻訳」を、本文とは別に分けて巻末に右開きで掲載するといふ念の入れやうである。

 おそらく、日本の英和対訳型教本の歴史上、空前の作品といつてよいだらう。従来の英和対訳型教本の缺点は、原文との対応を重視するあまり、訳文が不自然になつたり、ぎごちなくなつたりしたことだが、本書は上述のやうな工夫をすることで、さうした缺点を回避してゐる。

 注目すべきことは、著者が文法の説明にもつぱら利用するのが、江川泰一郎著『英文法解説』(改訂三版1991年、金子書房)であつたり、引用する辞書が学習辞典の『フェイバリット英和辞典』(第3版 2005年、東京書籍)であつたりと、誰でもごく普通に利用できる資料を使つてゐることである。(1) 英英辞典にしても、学習辞書の Longman Dictionary of Contemporary English (いはゆるLDOCE)を引用するなど、決して専門性の高いものに頼らない。この辺が著者の師であつた中野好夫(Redの本邦初訳である「赤毛」を含む短篇集を1940年に出版)や上田勤と大きく異る点であらう。もつとも、この人たちの時代には、今日のやうな優れた学習用英和辞典も、学習用英英辞典もなかつた。もつとも、この人たちの時代には、わづかにA. S. ホーンビー編の『新英英大辞典』(開拓社)があつたのみである。を除けば、学習用の英語辞典など存在しなかつたのだが。

 小説のあらすぢと、作品および行方教授の解説・訳についての感想を述べる。

  (あらすぢ)南洋諸島に荷物を運搬する小型商船がある島を訪れ、船長が上陸する。船長は大兵肥満の白人で、ズボンの前側についてゐるポケットに手を入れるのさへ難儀するやうな老いぼれと言つていい人物である。頭髪は、色薄くなつた一房が、からうじて後頭部に残るのみ。彼は島を逍遥した後、粗末な丸木橋を渡り、とある西欧風のバンガローを訪れる。住んでゐるのはスウェーデン人のニールスンといふ男で、この島に住みついて25年になるといふ。ニールスンは船長を家に招き入れ、ウィスキーを振る舞ひながら、この島を舞台とする30年も昔の悲恋物語を話しはじめる。
   米国軍艦から脱走した若者がこの島を訪れ、サリーといふ少女に出会ひ、たちまち恋に落ちる。真つ赤な髪のためレッドと呼ばれた若者ははたち、サリーは16歳、絶世の美男美女と形容される。だが幸せな日々は長くはつづかず、レッドはある日、島に停泊した英国の捕鯨船に乗り込み、果物と引き換へに煙草を入手するのだが、人出不足の捕鯨船の乗組員に騙されて連れ去られてしまふ。悲嘆に暮れるサリーは何年もレッドの帰りを待つのだが、男は帰らない。
   そんなある日、結核をわづらひ、余命1年と宣告されたスウェーデン人のニールスンが島に現れ、たちまちサリーに恋をする。健康を回復したニールスンは、サリーを口説いて一緒に住むやうになるが、サリーの心はレッドに捧げられたままで、ニールスンには決してなびかない。
   本篇で引用されてゐるやうに、ラ・ロシュフーコーの言ふ「恋愛においては、一方はただ愛し、他方は愛されるのみ」といふ状態が続いたのち、ニールスンの愛もやがてさめ、25年が経過し、互ひに無関心な年老いた夫婦となつてゐたところに船長が現れたのであつた。

(続)

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