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2016年02月09日16:40

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行方昭夫 『英語のセンスを磨く―実践英語への誘い』

行方昭夫 『英語のセンスを磨く―実践英語への誘い』

2003年01月29日 第1刷発行
岩波書店

 行方昭夫の「英語精読本」のうち、たぶん最上級の一冊。もともとは、雑誌「英語青年」で著者が長年出題者を務めた「英文解釈練習」講座の材料にあまり手を加へず、本にするつもりだつたらしいが、それでは済まなくなり、結局かなり加筆したらしい。全部で29篇の英語の文章(それぞれの長さは200語ほど)を題材に、さまざまな角度から縦横に論じる。

 行方流精読術の完成形といつていい本だが、その割には充実感が足りない。それはなぜだらうと考へると、一つには、とりあげられた文章がどれも、小生の興味をあまりひかなかつたといふことがある。雑誌や新聞記事の割合が高いため、「時の重みに耐へる」といふ性質が乏しい部分が多いのだ。刊行後13年も経つてから読んだせいもあるかもしれぬが、それだけに時事的な文章のフレッシュさが消え、逆にその種の文章が宿命的にもつ缺点(荒さや調子はづれの気取り)が浮びあがつてゐるやうに見える。

 とりあげられた文章は、さすがに一癖も二癖もあるものが多く、とくに後半においてその傾向が著しい。すいすい読むつもりで油断してゐると、足元をすくはれるやうなものばかりだ。といふよりも、はつきり言つて著者の導きがなければ、ちやんと読めるかどうか疑はしいものも多い。ただ、なればこそ、もう一つの本書の缺点が見えてくる。それをひとことで言ふと、「著者・読者間の情報の非対称性」といふことになると思ふ。

 著者いはく「英語のセンス,とくにきちんと読むセンスを効率よく身につけようとする時にとても大事なのは,選び抜かれたよい英文を用いるということです.(中略)私は日本最古の英語・英文学の月刊誌である『英語青年』の「英文解釈練習」欄を1986年11月号から今日まで隔月に担当してきたのです.この仕事で一番苦労したのが,課題文の選定でした.2カ月かけてあれこれ探し,時には友人に援助を仰ぎ,大人が読んで興味の持てる内容で,約200語でまとまっていて,前後の文章がなくともそこだけで分かり,しかも英文としてある程度難しい,という多くの条件を満たす材料を探すのに,骨を折りました」(まえがき)。

つまり著者は課題文を一点探すのに2か月近くかけ、本や記事の中で前後(コンテクスト)を読んで理解し、その上で出題したわけである。出題者としては当然の努力であらうが、それゆゑに読者との情報の格差は大きい。読者は出された200語の文から書かれてゐない部分まで推測して読み取らなければならないわけで、これでは不利になるに決つてゐる。「前後の文章がなくともそこだけで分か」るといふ条件は、対象とされる文章のレベルを上げれば上げるほど、より困難になるのである。

 否定的なことばかり書いてきたが、ある程度の内容と難度がある英文を、懇切丁寧な解説を受けながらぢつくりと読みたい向きには打つてつけの書物であらう。ただ小生には取り上げられた文章がやや合はなかつただけのこと。小生としては、むしろ、行方氏の恩師・上田勤の旧著を復刻した部分を前半に、行方氏がヘンリー・ジェイムズの短篇の読解を解説したものを後半に配置した『英語の読み方、味わい方』(1990年 新潮選書)、あるいは佐々木高政『新訂英文解釈考』(1980年 金子書房)の方が好みである。

 それにしても、本書は明治以来日本人が営々と努力してきた「英語の読解の勉強」といふものの、ひとつの到達点のはずだが、一読して、喜ぶべきか溜息をつくべきか、小生は複雑な感慨を覚える。英国人や米国人でもよく理解できないらしいヘンリー・ジェイムズの後期の長篇を翻訳して、少くとも日本人にも読めるやうにするやうな努力(この事業は1980年代なかばに一応完結した)。この種の努力は、これからも「あり」なのか、「なし」なのか。小生としては、もともとごく少数の人々しか従事してこなかつた零細産業であるから、これからも細々と残していくべきなのだらう、と思ふ。といふより、この種のことが好きな人々は、禁止されてもやらずにゐられないに違ひない。

 ただ、A.C.クラークの ”Childhood’s End” を読んだ際に思つたことだが(実は読み始めたのは『英語のセンスを磨く』が先)、クラークみたいに中流の中下層階級出身で(両親は郵便局員、のち農場経営)、オクスフォードやケンブリッジも出てをらず、科学、技術関係の論文などで鍛へた文章力で(英国空軍の技術将校として無線関係のプロジェクトに従事)ものする文章は、明確、平易で力強い。あるいはオーウェル “Homage to Catalonia” の簡明・雄渾な散文。かういつた文章の方が、より魅力的なのではないか。もちろんこの種の文章も、子細に見れば、よくわからない点がいろいろ出てきて、結局は「精読」しなければ意味がたどれなくなることも多いのだが。

 それはともかくとして、小生も一向に懲りないところがあり、行方氏が他の著書で(岩波セミナーブックスの『サマセット・モームを読む』)、「元同僚の川西進氏が、エドマンド・ゴス『父と子』の名訳を出した」などと言つてゐるのを読むと、それではひとつ『父と子』(英国教養小説の代表作らしい)の原文と訳文を読み比べてみようかなどいふ気に、ついなつてしまふのであつた。

(了)


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