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2014年12月19日04:44

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宮下眞二 『英語文法批判』 (X) 6(承前)

            6(承前)

 ともあれ、単位の表現であるといふだけでは、英語の冠詞を十分に解明したことにはならない。むしろここからが本番である。

 「3節 語の内容が語の性格を決定する」は、抽象名詞、物質名詞、固有名詞が複数形や冠詞を取る場合を取り上げ、いづれも形式が抽象名詞、物質名詞、固有名詞「と同じなだけで,実は普通名詞なのである」と論ずる。
 「4節 普遍的認識及び普遍的表現と冠詞」は、「5節 冠詞の本質」への露払ひとして、普遍的認識および英語における普遍的表現を検討する。

   「認識には個々の事物を個別に認識した個別的認識と,或る範囲の同種の事物を個別に認識した上で全体について普遍的に認識した普遍的認識とがある。例へば動物園の虎を観て,その特定の虎について<虎は危険な動物である>と認識した場合には,その認識は個別的認識である。目の前の虎を含めて,過去現在未来に亙るすべての虎を個別に認識して<虎は危険な動物である>と認識した場合には,その認識は普遍的認識である。過去現在未来に亙るすべての虎を個別に認識することは,勿論現実には不可能であるから,この認識は観念的に行はれるのである。
   普遍的認識には広い範囲のものと狭い範囲のものとがある。<日本人は勤勉である>といふ普遍的認識を例に取れば,これには明治以後の日本人を取上げてゐる場合もあれば,過去現在未来に亙るすべての日本人を取上げてゐる場合もあり,その範囲は様々である。しかし,どの場合にも,普遍的認識が,個別の認識を云はば積重ねて,或る(、、)範囲(、、、)の(、)同種(、、、、)の(、)事物(、、、)の(、)すべて(、、、)を対象としてゐることに変りはない。所謂範疇とは,一種類の対象の普遍的認識即ち普遍的概念のことである。所謂命題とは或る事物についての判断の普遍的認識のことである。この場合には,判断も当然普遍的判断である。そして普遍的認識を直接の原型とする表現が普遍的表現である。
   次に英語の命題表現の代表的な例を検討しよう。
(1) A tiger is a dangerous animal.
   (2) The tiger is a dangerous animal.
   (3) Tigers are dangerous animals.
  (1)〜(3) は(和訳すればいづれも「虎は危険な動物である。」)いづれも過去現在未来に亙るすべての虎を対象とする普遍的表現である。(1) の単数名詞 ‘tiger’ は或る特定の虎だけではなくて,すべての虎を対象としてゐるのであり,不定冠詞 ‘A’ も或る特定の虎の個別性の一派的側面(5節で詳述)だけではなくて,すべての虎の個別性の一般的側面を対象としてゐるのである。(2) は (1) と殆ど同じであるが,(1) と違つて虎の普遍性を,もつと一般的な普遍性,例へば動物一般の普遍性と比べて,一つの特殊性と捉へてゐる(6節で詳述)。(3) ではすべての虎を個別に認識した上で,全体を一つの集合体と捉へて,その構成のあり方を複数と捉へてゐるのである。」(226‐228頁)

 「5節 冠詞の本質」は通説への批判から始まる。

   「冠詞は内容が極めて抽象的であり,かつその現象が極めて多様であるために,その本質が摑みにくい。そのためにこれまでは,冠詞が殆ど常に名詞に添へて用ゐられることに着目して,冠詞を名詞との関係に於いて定義しようといふ試みが行はれて来た。冠詞の特徴を名詞との関係に求めれば,冠詞の本質を名詞に対する機能に求めることになる。現在行はれてゐる冠詞論はいづれもこの域を出ない。
   冠詞の通説とも言ふべきは決定化説である。この説では,冠詞は後続の名詞の対象の「決定」の程度を表すと解釈する。無冠詞の場合には漠然不定のものを表し,定冠詞が付く場合には限定的な個体を表し,同類の他のすべての個体との対照を表すとする。また定冠詞は不定冠詞よりも決定の度合いが強いとする。
   この他には現実化説や実体化説などがある。現実化説では,冠詞を添へることに依つて,本来は単なる概念の名前に過ぎない名詞が,現実的なものの名前になると解釈する。実体化説では,冠詞を実詞の標識と解釈する。
   以上の冠詞論に共通するのは,第一に冠詞の内容が解明できないために,冠詞の本質を名詞に対する機能に求めてゐることである。第二に,これは機能説に転落する原因にもなつてゐるのだが,名詞の内容を「漠然不定」とか「単なる概念の名前」とかと,無限定の抽象的なものと解釈してゐることである。」(228頁)

   「山盛のリンゴを前にして,それを ‘Apples.’ と表現した場合について考へてみよう。表現者は特定の対象(この場合には目の前のリンゴ)を認識して,この特定の認識を原型として‘Apples.’ と表現してゐるのであるから,この‘Apples.’ は特定の認識及び対象と結付いた特定の表現である。「漠然不定」でも「単なる概念の名前」でもない。冠詞が添へられてゐなくても,名詞‘Apples.’ は特定の対象を表現してゐるのである。では次に山盛のリンゴの中の一つを取上げて ‘An apple.’ 又は ‘The apple.’ と表現した場合について考へてみよう。この場合にも ‘apple’ は表現者の特定の認識と結付き,ひいては特定の対象と結付いた特定の表現である。語の内容とは語が担ふ対象――認識――表現といふ客観的関係に他ならない。名詞と名詞に添へられた冠詞とは,関係はあるが別であり,それぞれ独自の内容を持つ独自の語である。新聞の見出しなどで冠詞の省略が可能なのは,名詞が特定の内容を持つてゐるからこそである。そもそも,同種の物を表す名詞が同じ形式を持つが故に,名詞の内容が抽象的であるとするならば,他の動詞や形容詞や副詞や接続詞なども,同種の対象に対しては同種の形式を用ゐるから抽象的であると解釈せねばならなくなるだらう。それなのにこれらの語にはその内容を「限定」する冠詞が付かなくても,特定の意味を持つものとして表 現理解されてゐるではないか。

   このやうに,現実の名詞を吟味してみればどの名詞も特定の内容を持つてゐることは明かであるのに,通説では名詞を抽象的なものと見做し,冠詞が名詞の内容を「特定」するとか「具体化」するとか「現実化」するとかと解釈してゐる。これは何故であらうか。ここにはヨーロッパの言語学の宿痾とも云ふべき語彙と語との混同があるのである。

   言語は言語規範を媒介とする表現であり,語は語彙に媒介される。語
彙とは或る種の対象は或る種の音声又は文字などで表すべしといふ・一概念を表す語についての・規範である。冠詞は名詞を限定する機能を持つと云う(ママ)説でよく云はれる「本来は単なる概念の名前に過ぎない名詞」とか「それ自身常に抽象的である意義素」とか「純粋の抽象概念」とか「普通名詞は暗示的なもの」とかは.いづれも語のことではなく,語を媒介する語彙のことである。

   語と語彙とを混同し語を抽象的なものと解釈しても,現実の語が特定の対象を指してゐると云ふ事実に目をつぶることは出来ない。それで,これを説明するのに,語が表現される現実の場に依つてその特定の内容が決定するとか,文脈に依つて決定するとかと,語そのものの他に語の特定の内容を示すものを求めなければならなくなる。冠詞もそのとばつちりを受けて,名詞を限定する機能とか実体化する機能とか,ありもしない機能を押付けられた訳である。これには,冠詞が後続の名詞が表す実体のあり方を抽象的に表してゐると云ふことも与つて力があつた。」(229-230頁)

 欧米の思想史や言語理論の歴史を批判的に見て行くと、上に挙げたやうなパターンが頻出することがわかる。すなはち、素朴な経験論(自然発生的唯物論)から出発しながら、それでは対処できない事態に遭遇すると、観念論や機能主義への踏み外しが起り、それが行き着くところまで行くと、素朴な経験論に逆戻りする。
 三浦がたびたび引用するエンゲルスの言葉にあるやうに「最初の素朴な見方は、概して後の時代の形而上学的な見方に比べより正しい」といふことである。
 ただし冠詞に関する限り、この説はどうやら当てはまらないらしく、英語学者の見方は初めから機能論に偏してゐるやうである。これは、英文法の模範となつたラテン語に冠詞がなかつたこともひとつの要因であらう。むろん、英語で言へばそれぞれ不定冠詞と定冠詞の原型に当る数詞の「一」と指示代名詞は存在するのだが、ラテン語はつひに近代語における冠詞のやうな用法を発達させなかつた。ラテン語を祖とするフランス語、スペイン語、イタリア語などの近代語がそれぞれ定冠詞、不定冠詞を発達させたのは興味深いことである。

 ともあれ、内容主義を貫く宮下の論述は、英語の冠詞の本質にたどり着く。

   「冠詞は特殊な実体に限らず,実体ならばどの実体に関しても表現されるのだから,すべての実体に共通の属性を取上げてゐるに違ひない。属性には具体的なものから抽象的なものまで色々あるが,最も抽象的で最も一般的な属性の一つは,各実体が独自の個体であると云ふ属性,言換へれば個別性である。これはすべての実体に共通する属性である。冠詞はこの個別性を表す語である。

   では定冠詞と不定冠詞との違ひはどこにあるのだらうか。これは同じ個別性でもそれをどう捉へるか,つまりどの側面で捉へるかと云ふ違ひである。実体は各々独自の存在であるから,その個別性を特殊なものとして捉へることが出来る。これを表すのが定冠詞である。他方,個別性はどの実体にも共通に有るし,もつと範囲を狭めれば,同じ種類に属するどの実体にも共通に有るから,或る実体の個別性を,その実体が属する種類の各実体に共通の個別性の一つとして一般的に捉へることも出来る。これを表すのが不定冠詞である。約言すれば,定冠詞は個別性の特殊的)把握を表し,不定冠詞は個別性の一般的)把握を表すのである(傍点省略=引用者)。だからこそ,話手が聞手の理解即ち追体験を考慮して実体を表現する場合には,聞手にとつて既知のものと推測すれば,その実体の個別性の特殊的側面を取上げて定冠詞で表し,未知のものと推測すれば,その個別性の一般的側面を取上げて不定冠詞で表すのである。」(231-232頁)

 「6節 定冠詞の諸用法」、「7節 不定冠詞の諸用法」は各論であるため、省略する。

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