mixiユーザー(id:12891713)

2014年12月19日04:16

641 view

宮下眞二 『英語文法批判』 (V)  4




『英語文法批判』2章は「名詞と形容詞」である。

  「言語の内容とは対象――認識――表現といふ過程的構造であるから,名詞と形容詞との差別の根拠も,この過程的構造の中に求めねばならない。目の前にあるリンゴを ’a red apple’ と表現した時,話手はこのリンゴの色彩といふ静的固定的属性を対象とし,これを種類の側面で捉へて抽象して静的属性の概念を作り,これを直接の原型として形容詞 ‘red’ と表現してゐる。次に,このリンゴといふ・諸々の属性が結合した・特定の実体を対象として,これを実体の種類の側面で捉へて認識して,実体の概念を作り,これを直接の原型として名詞 ‘apple’ と表現してゐる。実体概念はその対象たる実体の諸側面の認識をも内容として含んでゐるのである。以上のやうに,形容詞と名詞とは,それぞれ静的属性――静的属性概念――形容詞,実体――実体概念――名詞といふ過程的構造のあり方が異るのである。では red (赤)や sweetness (甘さ)等の静的属性を表す名詞の過程的構造はどうであらうか。現実には属性は実体と不可分に結付いて居り,実体から独立した属性はあり得ないが,われわれは現実には切離せない属性を,必要に応じて,観念的に即ち頭の中で,実体から切離して扱ひ,思考や表現を行つてゐる。属性を表す名詞はその一例である。red や sweetness を例に取れば,現実には実体と結付いてゐる静的属性を,実体から切離して独立の存在として認識して,名詞に表現してゐる。即ちこれらは静的属性――実体概念( 、 、 、 、)――名詞といふ過程的構造を持つてゐる。これを形容詞と比べれば,対象は同じ静的属性でもその認識のあり方は異る。言語は概念を直接の原型とするから,語の種類即ち品詞も概念の種類に依つて異ることになる。イェスペルセンは静的属性を表す名詞の対象が形容詞の対象と同じであることは指摘したが,その認識のあり方が形容詞の認識のあり方とどう異るかは明かに出来なかつた。精神の物質に対する相対的独立を認められない俗流唯物論の限界である。」(77−78頁)


 近世の英語文法の基礎となつた古典語(ラテン語、ギリシャ語)文法では、今日で言ふ「名詞」と「形容詞」が似たやうな屈折(語尾変化)をすることと、相互に転化する性質のために、「名詞」(nomen) といふ一括したカテゴリーが設けられ、「実詞」(nomen substantivum,今日の「名詞」) と「形容詞」(nomen adjectivum)はその下位区分として扱はれた。

  「英文法学では1700年にレインが初めて名詞と形容詞を内容の上から区別した。ラテン語と違つて英語では,名詞と形容詞との屈折は似も似ないから,両者を区別しそれぞれ独立の品詞とする習慣が次第に定着した。しかし名詞と形容詞との相互転化もあり,両者の内容の相違を完全に解明することは容易な事ではない。イェスペルセンも両者の内容を検討したが,つひに「両語類を区別する明確なまたは厳重な分界線を見出す」ことが出来ず,両者を<名詞>に一括した上で「それぞれの言語によって異なる語形上の基準」によつて<実詞>と<形容詞>とに下位区分せざるを得なかつたのである。」(78-79頁)

 「名詞と形容詞の相互転化とは、イェスペルセンが例に挙げたシェイクスピア『ヘンリー五世』(第三幕第五場第十行)のせりふにその典型が見られる。

 Normans, but bastard Normans, Norman bastards. ノーマン人とは言つても,庶出
のノーマン人です,ノーマン人の私生児です。

 すなはち「最初に形容詞の bastard と,実詞の Normans が来,次に形容詞の Norman と実詞の bastards が来ているのである。」

 「1章 固有名詞」における固有名詞と普通名詞の相互転化、2章での名詞と形容詞の相互転化のやうに、宮下の(元来は三浦つとむの)方法は、「固定した動かない対象」はもちろんだが、「搖動し、相互に位置を変へる対象」を扱ふ時に、より一層切れ味を増す。運動を「実在する矛盾そのもの」と捉へる弁証法といふ論理学を思考の基盤としてゐるゆゑであらう。


0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する