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2014年12月19日03:55

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(長文) 宮下眞二 『英語文法批判』 (I)

宮下眞二 『英語文法批判』(1982年4月10日 日本翻訳家養成センター刊)


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 本書を通読するのは、おそらく3回目である。刊行後32年で3回。そして今回やうやく、本書を少し理解できたやうな気がする。よつてやや長めの文章を草し、その概要を説明することにする。

 著者・宮下は1947年宮城県中新田町に生れ、東北大学文学部で日本思想史を専攻した(1971年卒業。卒業論文は「北村透谷の思想、その形成と展開」)。在学中に三浦つとむ(1911−1989)の著書にふれ、時枝誠記―三浦つとむの「言語過程説」を適用した英語研究を志し、大学院で英語学専攻に転じた(指導教官は安井稔・桑原輝男)。1973年東北大学大学院文学研究科英語学専攻修士課程を卒業後、北海道の北見工業大学に講師として赴任し、1976年に助教授。

 修士論文は、”The Speculations On The English Language From The Sixteenth Century To The Eighteenth Century” といふタイトルで、内容は近世の英文法学を歴史的に跡付けたものである。これは加筆・改稿の上、吉本隆明編集の「試行」第36号から47号にかけ、断続的に掲載され、最初の著書『英語はどう研究されてきたか』(1980年季節社)に収録された。

 大半の論文は「試行」に掲載されたが、日本翻訳家養成センター(のちバベルプレス)の月刊誌「翻訳の世界」にも文章を発表するやうになり、1982年4月、2冊目の著書である本書を同社から刊行。しかし、できあがつた著書を見ることなく、4月4日、熱海にて縊死した。享年36。

 上記の2冊の著書のほか、三浦つとむ編『現代言語学批判』(1981年勁草書房刊)に2篇の論文を提供し(三浦はこの時期病床にあり、本書は実質的に宮下の編著だといふ)、歿後に季節社から、未刊の論文、遺稿、追悼文などを収録した『英語はどういう言語か』(1985年10月)が刊行された。

 なほ、最初の著書では新字・新かな表記であつたが、『英語文法批判』は略字交り歴史的假名遣表記となつてゐる。

 上に述べたやうに、『英語文法批判』は著者の初めての本格的な理論書であり、以後英文法の独自の体系化に向けて続々と論文・著書が発表されると思はれてゐたが、本書刊行とほぼ同時に著者は自ら命を断つてしまつた。その事情について筆者は詳しく知ることができない。ただ、上記の『英語はどういう言語か』の追悼文などから、9年におよんだ北見での生活の孤独、東京の大学への転職の試みの失敗などが窺へるばかりである。

 『英語はどういう言語か』から政治学者・滝村隆一の追悼文の一部を引用する。

 彼と最後に会ったのは、私が眼痛をこらえながら『唯物史観と国家理論』の仕上げにかかっていた、七九年の夏のことである。彼は、私が引越して間もない与野に立ち寄り、駅前の喫茶店で、“学会で発表したのだが、三浦理論が全く知られていないため、質問が一つも出なかった”といい、一時間足らず話した別れ際に、“北海道は寒くてもうくたびれました。近く東京へ出てきます”といい残して帰っていった。いま考えてみると、彼がさりげなく吐露した二つの言葉が、アカデミー言語学者としての彼の境遇のすべてを、物語っていたように思われる。旧帝大諸大学は、それぞれの力量に応じて、全国各地に公・私立諸大学を植民地的に直轄支配している。頂点に立つボス教授(たち)は、新任・転任をふくめ系列諸大学の教員人事の一切を掌握しているわけだ。しかも弟子に対する彼らの評価と信任のいかんは、学問上の実力ではなくして、もっぱら彼らへの人格的隷従の忠勤度によって決せられる。従って、大学で人並み程度の職を得ようというのなら、ボス教授がきまって信奉している外国製理論を、そのままありがたがっておしいただくことが、当り前の前提となる。反対に正面から批判しないまでも、これにそっぽを向いたり、ましてや民間研究者の理論などに本気で肩入れしたりしようものなら、僻地の大学へ“島流し”の憂き目にあうのはまだよい方で、まずは教職への道を断念する他ない。
 宮下君が文字通り北の果てから、さして親しくもなかった私に対してさえ、間断なく手紙を発しつづけたり、自分の論文を英訳して欧米の学者に送りつけるつもりだとか、もう何年たったら米国か西欧に行く予定だとか、多くの人々にくり返し表明しつづけてきたのも、このようにみてはじめて納得することができる。彼はきっと、余人からは窺い難い程に孤独だったのだろう。この小文を書きながら浮びあがってきた宮下眞二君の像は、わが国アカデミーとの孤絶した意義ある戦に敗れた、<戦士(ママ)者>というに最も近い。果してこれは、たんに私一個の独断的推察にすぎないのであろうか?(同書198頁)


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