11月3日の作戦行動。新カメラ キャノンEOS 7Dの実質的デビューでもあります
福島県会津に近い場所に位置する河内川森林鉄道跡、丁度1年前に放置機関車調査を目的に行った場所です。
2010年訪問の日記
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河内川森林鉄道の簡単な歴史 2010年日記よりコピペ
1965年頃までの営林署運営時代の動力は馬力のみで、馬力林用軌道の運用としては山梨 西沢林用軌道と並ぶ最後まで残った軌道の一つでした。伐採運材を民営に委託されてから初めて機関車が導入され軌道の廃止は1969〜1970年頃で、最後が民間だった為に機関車が放置された可能性があります。
我々が訪れた直後くらいのタイミングで廃道レポートで有名なヨッキれん氏が、この河内川林鉄跡を歩いて調査したようで、そのレポートが2011年初めにある雑誌で掲載されました。それによると我々が調査した機関車以外、別の場所にもう1両放置されているらしい事が解り、それなら是非行ってみてみよう、と言う事になりました。まずは春先の雪解け後位のタイミングを狙ってましたが仕事が忙しいとか悪天候などで上手くタイミングが合わないうちに夏になってしまい、下草が枯れる秋を待って10月中旬頃を狙ってましたが林道が台風後の道普請で10月中は通行止めであることが解り、開通後の11月3日に訪れたものです。福島だから放射線は?・・・現場は100km以上離れてるし、山脈も挟んでるので気にしません。
同行メンバーは前と同じですが人数は減って3人、去年と同じパターンと時間で合流、現場突入です。
去年と同じ林鉄跡上流域の集落跡で横断する林道からスタートです。林道橋下流側に残る林鉄木橋ピア。去年より部材が一つ落ちてる・・・
この木橋がまだ現役中に隣りで林道橋が開通してたらしい事が橋のプレートから読み取れます。
去年の加藤DL調査では、この林道から軌道跡を上流側へ入っていきましたが、今回は下流側に向って進みます。上流側とは違い下流側は道が無いようなので薮漕ぎ覚悟の困難も予想されます・・・
途中渡河の必要もあるので長靴を履いて出発。
薮漕ぎ中に見かけた、ちいさな沢を渡る軌道跡の溝。
出発して10分程で歩いている軌道跡の少し上に、もう一つ軌道跡らしいものが残っているのを発見、人が歩いてるのが、そのレベル。石積み法面も残っていて勾配の感じから軌道跡に間違いなさそうですが・・・帰りにこの軌道跡?を辿ってみましたが100mくらいで忽然と消えていました。支線(作業線)跡なのか、かっての本線で軌道が奥に伸びていく時に切り替えられた旧線跡なのかは謎のままです。
そして出ました・・・崩落地区。突破ルートを河原からと上巻きから探しましたが、結果的には少しの上巻きに獣道があったので、それを通ります。
崩落地区を通過してすぐの場所で河内川本流を渡る木橋跡に出ました。予想ではもっと下流と思ってましたが、思っていた半分の距離で本流橋に出ました。林道からは約500m。
ワンスパンはそんなに長くありませんが橋脚7〜8連(一部折れたり流されたようで不明)、8〜9桁の長い大木橋だったようです。その桁も営林署の馬力から民間輸送委託の機関車入線に対処させた為でしょうか、鉄のアングル材で補強が入れられた何本かの角材が束ねられたものです。いろんな林鉄の木橋は見てきましたが、こーゆー桁は初めて見ました。橋脚も水切り?みたいなのが付いてるのもあります。
流れのところは折れた上に横倒し状態
川の流れも、この辺りは上手い具合に流れも緩く、長靴浸水の心配無しで渡河できました。
川を渡り、上がったすぐのところにあった倒壊した小屋。感じからして最終的には解体所だったのか? 画像中央右の鉄輪が付いた角材、同じものが何本もありましたが、なにに使われていたのか解りません。山トロ連結運転用の連結棒だったりして
発電用エンジン? これも解体途中のようで、手前に外されたガソリンエンジンが転がってます。
軌道跡の位置くらいにあった・・・丁度トロッコの平トロッコくらいの大きさの物。半分埋まった状態なので実際には何か解りませんでした。掘ったら何か出たのかな?
そして目的のブツ、謎の機関車。雑誌で見た写真そのままです。調査を始めると、すぐ車輪が発見できたので機関車に間違いありませんがメーカー物ではなく街工場で造られたたしい「バッタ機関車」です。
で、持参した軍用シャベルや長柄の釜などで掘って刈って
間違いなく解体途中で放置されたもので、エンジンはヘッドと付属品が殆どありません。フレームはトラック流用のようで、不要のクロスメンバーが途中で切られててます。そのフレームの外に角材が付けられてるのはサイドバンパー代わり? しかしもっとも謎なのはラジエーターが真下を向いてる事。最初は外れて前に落ちてるのかと思ったら、この状態でボルトで留まってる??
ミッションを得た動力はシャフトで後部のデフに伝わりチェーンによって車輪に伝わってる構造です。車輪は2軸共チェーンが掛かりデフはトラック流用のようです。
斜面上からも
現役時は想像するにトラックのような形状で、丁度中国の通遼で見た砂鉱山軌道のトラックタイプの機関車と同じような感じだったのかもしれません。「荷台」にあたる部分は死重を載せて・・・ 写真は中国 衛門営砂鉱鉄路、あ・・・軌間は河内川も同じ762mmだっ
車体は衛門営の方がフタ周りくらい大きそうですが
エンジンは いすゞ DA40-1190.E ディーゼルエンジンです。
トランスミッションケースの陽刻。「S」ですが、感じから いすゞ系でしょうか?
車輪も前部は残されてました。しかし板バネなどのクッション類は無くフレームに特設ベアリングがボルトオンされてました。車輪径も実測約240mmと山トロ車輪くらいの大きさしかなく、小径車輪とクッション無しで空トロ牽き上げとはいえ、まともに牽けたんでしょうか?
後部デフ周り。チェーンがスプロケットから外れて緩んでるのでもしや?と思ったら、予想通り掘っても後部車論は出てこなかったので、残念ながら後部は外されてしまってるようです。しかし・・・連結器がピンドルフック! これなら我JEEP J54Aのピンドルフックも「連結器」と呼んで良いわな!
フックの右は後部バンパー? 軍用トラックの後部バンパーはこうゆう形状なので、もしかしたらフレームは軍用トラックからの流用か?との疑いがありますが、残念ながら軍用トラックのフレームとバンパーサイズが解らなくて・・・
少なくても現場で一番疑った大戦中の米軍3/4tトラック、DADGEのWCシリーズとは違いました・・・
ペダルレバー類は左から、奥の曲がったやつはクラッチペダル、そしてセンターブレーキレバー、ミッションレバー、骨組みだけのシート後ろ(右)の鉄棒だけ出てるのは動かすとフラフラ状態でしたが車輪のブレーキレバー?? エンジン後ろの防護鉄板にはスロットルレバーも残ってました。動力逆転機は・・・ありません。下りはギアを外して惰性で下って行ったんでしょうか? 山トロ運材なので下りは積載トロを連結してなかったはずです。
これは・・・たぶんエアエレメントのケース? 錆びて底が抜けてます。
そして最大の謎が下向きラジエーター。この前に連結器があったのか???
しかし下にはラジエーターのスリットガードが。これはおかしい!
そしてラジエーターの下?のカギ型穴・・・これはエンジン始動クランク棒を通す穴で、この向きは明らかにおかしい訳で・・・で、結論に至ったのは、元々ラジエーターは普通の機関車のようにエンジン前に立て向けで付いていたものをエンジン解体のさい、邪魔だから台座のアングル材ごと前に倒すように曲げて、そのまま・・・かな??
手前の軸?はベルトドライブのプーリーが付いており、少し下流から同行人が拾ってきたもの。古い旋盤機などでよくあるタイプなので、やっぱりここは機械修理小屋跡だったんかな?
さらば、バッタ機関車。また来る事は・・・あるんかな?
機関車現場を離れた後、河原で遅めの昼食、戻りはルートが判ってるので、途中の支線跡?を調べてスムーズに林道へ。時間的に上流側の加藤DLまで見に行く時間はありませんでしたが上流側の軌道跡が車道化しているようなので軽く調査。この1年間に間伐事業があったようで200m程が作業道化されてましたが事業も終了したのか廃道処理をした跡が見られました。
この後は温泉となる訳ですが最初に向った藤沼温泉、何でも横の貯水池は東北震災の時に堰が決壊したとこだったそうで、温泉も休止・・・結局東北道近くの温泉に行きました。何でも村祭り?で入湯料が無料
久しぶりのトワイライト的作戦、終了
2011年リスト
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